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絆リレー祭2023
絆リレー祭2023
やんばいのぉ山添村
ええ天気やなぁ山添村
『やんばいのぉ』とは、山添弁で『いい天気だね』という意味です。
『やんばいのぉ山添村』は、関西弁では『ええ天気やなぁ山添村』になります!
2024年7月20日(土)14時半~ 野村議員の講演会・議会報告会開催します

山添村分校の問題【11】「分校は村の将来への投資!」私の議会報告会詳細

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目次

はじめに

去る2月19日(日曜日)、山添村ふれあいホールにて、半年ぶりに議会報告会を開催しました。
今回は、年末から取り組んでいる山添分校問題や、メガソーラーのこと、医療、道路などの話題を取り上げました。
分校のことに関心が高いせいでしょう、悪天にもかかわらず、150名を越える方々が参集くださいました。
毎回お越しくださる人がある一方で、初めて顔を出してくださる人も多くて、嬉しかったです。

このブログでは、分校のことに絞って、紹介します。
当日は、会場で配布したプリントを用いて、講演しました。
このブログでは、19日以降の新しい情報も加筆して、誤記訂正して、講演内容を再現してみました。
お気づきになると思いますが、その内容は、ブログ【1】~【9】まで綴ってきたことを、簡略したものとなります。

報告会の最後に、村長が表明された言葉を、箇条書きにして紹介しました。
特別発言をして下さった寮さんと三宅正行議員の話は、割愛しました。

少しでも情報を正しく伝えたいのです。
分校がどれほど貴重な存在なのかを理解する一助に。
そして、存続あるいは本校化するために、私達はなにをしなければならないのか、行動を起こす一助になれば、幸いです。

議会報告会場で配布したプリント ダウンロード可

当日配布した資料とほぼ同じものですが、一部加筆・誤記訂正しています。
ダウンロードして、印刷してもらっても差し支えありません。

スライド原稿と共に、もう一度全体を説明します。

山添村はもうすぐ立村70年を迎える。今年は住民投票から20年。

調べてみると、明治以降に山添村という自治体は、3つあった。山形県や岐阜県の山添村は、明治時代にできて昭和の大合併で消えた。
私達の山添村は、昭和の大合併で生まれて、住民投票の結果、平成の大合併政策には組せず、今日に至っている。

その住民投票から20年となる。山添村があるからこそ、自分たちが、この地域の担い手であるという意識を保ってきた。

そろそろ創立75年を迎える分校は、本校化に向けて準備されてきた

配布資料には、分校設立1948年、2023年創立75周年としたが、1年ずれていましたので、書き直しております。

山添村は、2026年(令和8年)に創立70周年を迎えるが、それより、分校の歴史は古い。
昭和24年2月に創立され(山添村が生まれる前に、旧波多野村に誕生)、来年2月に75周年を迎える。

この分校は、2016年(平成28年)から、本校化に向けて、準備会や委員会が設けられ、議論が交わされてきた。 

本校化を目指す理由

本校化する理由は、分校は、「設置者が山添村で、管理者が奈良県」という二重構造になっているため。
(学校の正式名称も、複雑ですね)
戦後に作られた多くの分校は、山添分校に限らず、この形式にあった。少しずつ是正(本校化)されたり廃校になったりして、現在もこのような二重になっているのは、山添分校だけかもしれない。

(この辺りの詳しい説明は、【1】へ)

本校化するということは、実は、学校の名前を、山添村立〇〇高等学校と変更するような単純なものではなく、「新しい学校を創る」ことにほかならない。
平成28年から検討されてきた本校化推進委員会でも、どのような学校が良いのか、それを検討していた。

本校化計画の挫折

実は、本校化推進委員会では、ICTの教育を中心にした新しい学校にする具体案が完成しつつあった。同窓生をはじめとする村民の期待も高かった。校名募集のポスターさえ計画されていた。

ところが、本校化を強く進めていた前村長(森中氏)の在任最後の年(令和3年)に、本校化の優先順位を下げると言い出し(その頃から推進委員会は開催されなくなっていた)、同年秋には、新しく野村栄作氏が村長に当選した。

そして、ついに、2022年(令和4年)9月の定例議会全員協議会の場で、本校化断念と廃校を検討していると教育長から報告があった。

村長は、突然言い出したのではないと言う。断念の理由は?

この答弁は、やまぞえ広報2月号から抜粋した。

2022年9月の全員協議会の発表までにも、それらしい発言は、何度かあった。村長や教育長にしてみれば、「本校化はもうしませんよ」と随所で言ってきたつもりなのだろう。本校化を断念することの重要さに気づいていたからこそ、少しずつ情報を小出しにしていたのかもしれない。小出しにした時の反応(議会や村民の)が、大きくなかったために、断念方針を進めても大丈夫と勘違いしてしまったのかもしれない。

(この辺りの詳しい説明は、ブログ【2】へ)

それはともかく、彼が言うには(12月の定例会一般質問の答弁を示すように)、①定員割れが続いている。②入学生のほとんどは村外・県外からであり、山添村出身者は数名。③本校化すると、村費で雇用する人が増える。④本校化するには耐震工事や、施設の建て増しなどに費用を要する。以上のような理由のために、本校化は困難だと主張している。

生徒数は減っているが、一定の入学者が続いている(需要がある)。

当日配布した資料には、これらのグラフは含まれていません。

上のグラフは、この20年間の山添中学校卒業生(棒グラフ)と、そのなかから山添分校に進学した生徒の数(折れ線グラフ)である。卒業生は激減しているが、分校への入学者は、ほぼ横ばい状態である。
下のグラフは、同じく20年間の分校への入学者総数(棒グラフ)と、山添中学からの入学者数(折れ線グラフ)である。
(これらのグラフは、配布した資料には含まれていない)

村長は、そう主張するが、日本中の子供の数が少なくなっている中で、山添村の子供達の数が減っている中で、分校への入学者はある程度維持されているようだ(一定の需要があることを意味している)。

分校の運営に、いったいどれくらい負担しているのか?

分かりやすい学校管理費(決算額)の、この5~10年間の平均を大まかに上の表に示した。
山添分校は、毎年1200∼1500万円程度。
山添中学校は、1800∼2500万円程度。
山添小学校は、3000∼3500万円程度。
学校の教育費は、毎年1億円まで(村全体の決算額の2%強)である。

これに対して、分校があることで計上される基準財政需要額(地方交付税を決めるための算出される指標)は、例年3100∼3400万円である。
つまり、毎年の決算額は、基準財政需要額の40~45%に過ぎない。
一方、小学校、中学校は、その60~90%を支出している。
分校への地方交付税は、有効に利用されているのか、気になるところである。

それにしても、分校には10名近い教員をはじめ、実習補助員や校務員も含めて沢山の人が働いていらっしゃるにもかかわらず、どうして村の財政負担は、毎年1200∼1500万円程度なのか?
その理由は、定時制高等学校の教員は、原則として、都道府県費で雇用されると法律で規定されているからである。

(この辺りの詳しい説明は、【6】へ)

もし、本校化した場合は、その費用はどうなるか?

仮に、現在の分校の規模のままで本校化されるとしたら、少なくとも1、校長先生、2、事務長、3、指導主事が本校には必要となる。そのうち、校長先生は、県費にて雇用されるが、事務長や指導主事は村費である。さらに、設ける学科や教科によっては非常勤講師も必要となろう。その給与は年間、2000∼2500万円となろう。

また、校長室を作る費用や、設備の充実に、1000万円程度は、やはり必要であろう。
それを、高いと考えるか? 村に高等学校を存続させるために当然の出費と考えるか?

今年1月において、教育長の提案は、議会にて否定されたが

当日配布した資料には、「遮断」という表現はしておりません。

村長と教育長のものごとの進め方には、議論が多いところである。
最近、それを反省する言葉が、両者から聞こえて来るが、昨年秋から今まで、ともかく、教育委員定例会、本校化推進委員会、議会などで、打ち合わせ、話し合い、などがないままに、「廃校を考えている」ということを簡単に発表してきた。

1月の全員協議会での提案も、そのままであった。
彼は、「令和6年度の分校の入学募集を止めてしまいたい、一方で、山添村立高校の設立はこれからゆっくり話し合いましょう」と提案された。しかし、いままで公的には、分校の本校化を検討したことはあっても、本校化を断念することは話し合われたことがないし、議会にもこれについて意見が交わされていない状況なのである。
よって、多く議員から、判断するには拙速すぎるという意見が噴出したのは当然とも言える。教育長はこの提案の断念し、多くの関係者とよく相談すると答えた。

(この辺りの詳しい説明は、【8】へ)

もう一度、教育長の提案の意味を図説するとこのようになる。
本校化は、新しい学校を創ることに他ならないと前述したが、それでも、二つの学校は連続しているという認識でいるはずだ。しかし、どうせ廃校になるのだから、そして、本校化はハードルが高いので、(さらに、県から早く判断を示せと言われているのであろう)、一旦、分校の入学を止めよう、そして、何年かかっても良いから本校を作れるように検討しようではないかということなのである。

良識ある多くの議員の判断にて、この提案は引っ込められたのである。

それでは、本校化を目指すには、何が必要か?

当日配布した資料には、分校の令和7年度の入学募集は、まだ未決定としていましたが、
2月22日の全員協議会の席で、教育長は、令和7年度も募集することになると明言したので
ここでも、そのように訂正加筆しました。

1月の教育長の提案が、村議会の全員協議会にて認められなかった結果、
2024年度(令和6年度)の入学選考だけでなく、その翌年も分校の入学選考は行われることになった(2月22日の全員協議会で、教育長は言明した)。

しかし、これで目的を果たしたわけではない。
あくまで、二重構造を排し、本校化を目指さねばならない。
そのための、時間がある程度確保されたというのが、適切な表現であろう。

二年半前まで開催されていた本校化推進委員会が進めていたことを、改めてやり直さねばなりません。
事務的には、ここにも挙げたような事務的な手続きが必要である。
が、こんなことよりも、県民・村民の税金を使い、誰もが認める村立高校を作るためには、
もっと別のハードルがある!
それを次にまとめてみた。

4つのハードル

大きく分けて、4つのハードルがあると私は思っている。(上の図、参照)下に①~④として詳述する。

①分校の価値を見直す、価値を高める!

今の世の中、大人にも子供にも、じっくり自分や社会を見つめなおす安全な場所と時間が必要。分校は、そういう場所として、この四半世紀、機能してきた。

ひきこもりや、集団で、そして教室で勉強することが苦手なひとたちのために、通信科教育が、最近注目されているが、「通う」ということが、実はとても大切な行動であることが忘れられている。
山添村のこの地まで来ることで、初めて自分の場所、成長する場所を手に入れることができる。入学した生徒たちは、まもなく、それに気づく。

(通信科との違いは、【7】で詳しく述べている)

この大事な価値ある機能を、改めて認識したら、分校が果たすべき一つの役割が見えてくる。 

②分校のあり方を考え直す

分校と地域のあり方が、まだまだ希薄である。
村立高等学校なのであるから、分校であろうが、本校であろうが、もっと、地域との繋がり・関りを深めなければならない。

学校側にも、引っ込み思案なところがあるし、
村民の側にも、無関心なところがある。

両者が工夫しなければならない。努力が必要。
具体的な例は、省略するが、すでに、いくつかの試みが始まっている。
繋がりが深まることによって、村民の「本校化」への気持ちも高まっていく。

こういう努力は、決して本校化のためだけではない。現在の分校の学び舎(環境)をも良くしていくことになると信じている(この辺りのことは、【4】【9】【10】に詳術した)

その効果に期待したい。

③大和高原の東端に存在することを利する。

奈良県民にとれば、山添村なんて東の端の小村、名前さえ知らない人もいる。
だけど、私達は大和高原の主たる構成員である。
伊賀にも名張にも近い。

これは、分校の先生が、学校見学に来る保護者に見せる資料のひとつ。
分校には、どのあたりから、通学が可能かを端的に示している。
なんと、大和八木駅を、午前7時21分発の青山行の急行に乗れば、名張駅でコミュニティバスに乗り換え、8時45分に到着する! だから、榛原や桜井から通学している人がいる。
伊賀からなら、7時55分の山添行のバス。
来年度(令和6年度)に、奈良からのコミュニティバスが計画通り運行されるようになれば、奈良市内からも通学が可能となる。

山添村の子供達だけの学校ではない。
大和高原を中心とした地域全体に、この学校を必要としている子供達がいる。
それが、たまたま、三重県にまたがっているというだけのこと。
周辺の市町村と、山添分校をご利用くださっていることで、もっと強い繋がりを作ってほしい。
たとえば、定住自立圏協定を伊賀市や天理市と結んでいるけど、「教育面」での提携はどうなっているのだろうか?

④分校は、決して負担ではない、将来への投資

村長は「負担になる」というが、そんなことはない。
分校を維持し将来への投資となるように分校運営をすることが可能だ!
当時、野村村長が本校化のために描いたICT構想などではなく、
ユニークな農業教育をもって運営していけば、分校があるから移住したい!と考えてくれる人が、増えるに違いない。
これからの世のトレンドは、「農業」である!

大規模な学校でなくてよい。特徴ある定時制高校を目指そう!

よく心配されることに、本校化する学校の規模、定員数のことがある。
以前は、最低人数が、法律で80人以上とされていたが、その条項は撤廃された。
よって、本校化しても、現行の一学年30人を基本として構想をまとめることが可能である。

令和3年に、県内に新しい定時制高等学校が創立された。
五條市立県立五條高等学校賀名生分校が、本校化して、五條市立西吉野農業高等学校に生まれ変わったのである。
やはり、定員は30名である。
私達、山添分校の本校化を目指す時、状況も異なるが、参照すべきことは多い。

(この辺りの詳しい説明は、【5】へ)

知恵を出し合い、この地でしか展開できない農業教育を充実させて、
本校化を目指そう。

村の「終活」をしてる場合じゃない!

多くの自治体では、おらが町の高等学校がなくなると聞けば(それが県立高校であろうが)、市町村長は、県の教育委員会に泣きながら存続を懇願するのが普通だ。
いまや、山添村では、ほいほいと、投げ出そうとしているのではないか!?
これでは、村の「終活」にほかならない。

分校がなくなってしまったら、山添村は、ますます灯が消えたようになろう。

村民へ提案 そして、村長へ要望

★村民への提案「山添人であれ!」
冒頭でも申し上げたように、20年前の住民投票で合併せずに独立独歩の道を選んだ私達は、この村のことを、自分たちで決めていく使命がある。分校の問題こそ、それが問われている。
私達が無関心でいる間に、分校は、新しい道をすでに歩んでいる。
それは、決して軽視できるようなものではない、素晴らしい存在となっており、周囲から求められるものになっている。
この分校を核として、未来の発展の起爆剤にするのか!?
そのためには、なにをしたら良いのか?
考える時間は、さほど残されていない。

★村長への要望
あなたは、他人の声を聴く人です。
・分校に関する話し合いは、すべて「公開」にして、透明性を心がけてください。
・本校化プロジェクトを立ち上げ、
・村長が、かつて孤軍奮闘した本校化推進委員会の二の舞に陥らないように、
若人、とくに卒業生も入れて、進めてほしい。
分校に関して村長や教育長が言ったことを聞いた私の知り合いが、ぼそっと寂しそうに、
「権力者が考えて、そのままそうしたいと言えば、それで決まりですか?それが民主主義ですか?」と言ったことは、あなたの耳にも届けました。権力者ほど、「強権」発動に敏感になってください。
これを聞いて「そんな人間ではない」と思ったら、すでに危険信号です。

村長からのご挨拶

来賓としてお招きした村長は、私の主張を、ずっと最後まで丁寧に聴いてくれた。
そして、議会報告会の最後の15分間で、自分の勧めてきた村政をここに改めて紹介し、さらに、分校に関して、次のように語った。
( )内は、それに対する私の感想である。

・廃校にすると断定してはいない。廃校を検討したいと言っただけ。
  (言い訳のように聞こえる。村長はそうだったかもしれないが、「責任ある行政の人から廃校にすると聞いた」と言う人が何人もいらっしゃる)

・村民としっかり話し合う前に、「廃校」という言葉を出したのは、間違いだった。もっと事前にしっかりと話し合うべきだった。これに関しては、申し訳ない。謝罪する。
  (公の場で、最大限の思慮を示されたと思う。村長らしくて評価したい。これを基本としてもらいたい)

・村の教育委員会主事だったころ「本校化委員会」でがんばっていたが、それは、当時の村長の「本校化する」という意志があり、それを前提に動いていたからである。「本校化ありき」の話だった。
  (そういう言い訳を理解してくれる人はどれほどいるだろうか?)
  (むしろ、立場が変わったら主張を変えてしまう危うさを感じる人も多いはずだ)

・自分が村長になって、まず「本校化」すべきか否か、「廃校」も含め検討し直したた。分校の存続には多くの困難がある。
  (どう検討をしたというのか? 「本校ありき」で推進に向けた仕事をされた村長に、今度は「廃校ありき」の人たちの意見だけが届けられてしまったのではないのか?)

・わたしの心をサッと変えてくれるような分校の魅力ある案が出ないか。今日の野村議員の話では、まだまだ私が翻意するようなものではない。
  (そんな簡単に人の心を変えられる魔法なんてない。サッと変えてしまったら、それもまたどうかと思う。)
  (少しでも魅力ある分校にしたいと努力している人の気持ちを考えたら、あまりこういうことは言わないほうが良いのでは? そんな努力を、まだ村の行政はひとつも実施していないではないか!)
  (これから、もっと多くの人たちの声を聴いて集めて、考えてみてください)

当日の会場の様子

YouTubeに10数分だけアップしましたが、声が聞き取りにくいので、様子を紹介するためだけに留めました。
動画の前半は、挨拶などです。
ふれあいホールの様子だけでもお楽しみください。

https://www.youtube.com/watch?v=80ErKoJ-hr4

今日はここまでです。

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山添村分校の問題【10】YOUの記事を読んで・・・分校へ進学を考えている方や、在校生さん、保護者の皆様へ 【はじめに】 伊賀地区のタウン情報誌YOU 2月11日号の記事をお読みになった人たちから、問い合わせが届いています。「山添分校はどうなるのですか?」と。特に、山添分...

お忙しいところ、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

ここに挙げた内容は、2月26日までの最新情報も含めています。
間違いのないように努めたつもりですが、もし気になる内容がありましたら、教えてください。

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この記事を書いた人

野村 信介のアバター 野村 信介 山添村 野村医院長

60歳を過ぎて、山添村で野村医院を継承した開業医です。長年、三重県で勤務医をして過ごしましたが、年齢とともに、郷愁の念断ちがたくなり戻ってきました。
令和3年秋からは、村会議員にも選んでいただきました。野村医院での診療の傍ら、村興しにも精を出し、また、地域の問題に少しでも取り組んでいけるよう努めております。。
若い頃にはなかなか気づかなかった山添村の素晴らしさを、このサイトで皆さんに発信していきたいと思っております。どうぞよろしくお願いします。

コメント

コメント一覧 (1件)

  • 報告会の時お聞きして、山添村にとって重要な問題だと思っていました。
    今回さらに文書にしていただき、理解が深まりました。ありがとうございました。
    よく勉強してみます。

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