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絆リレー祭2023
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山添村分校の問題 【5】定時制って? 本校化ってなに? 本校化した五條市立西吉野高校は手本!

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目次

はじめに

山添分校を本校化するには、「どんな学校にするか?」という構想(教育理念・目標)が必須である(【3】の⑧で討論したStep 2)。
村民の誰もが、アイデアを出して意見を言うべき立場にあるが、
その構想を練るうえで、忘れてはならない基本的なことがある。
山添村民が考えて結論を出すために、基本的なことを説明する。

・「定時制とは?」
・「本校化ってなに?」
・また、これからを新しい学校構想を練るために、山添分校の先輩ともいえる五條市立西吉野高等学校についても紹介する。

本項が、皆さんが、よりよい本校化をイメージするとき、きっと役立つと願っています。

定時制高校とは? なぜ4年制なのか? 3年で卒業できる定時制もある。

「きまった時だけ、定まった季節・時間帯にだけ」授業を受ける

定時制高等学校とは「定時」にのみ授業をしているという意味。
つまり、“きまった時だけ、定まった季節・時間帯だけ”という意味。
それ以外は、自分の仕事や他のことに時間を割くことが可能(多くの場合、仕事してください、働いて下さい、技能習得してください、etc)ということ。

定時制高校は、社会人や就労者のように、一日中・一年中通学できない人に、勉学の機会を提供することを設立の目的としている。
また、それが目的だから認可されている教育の一形態。

因みに、山添分校は、農業が忙しい季節は授業がない。
就労者のための夜間定時制高校は、昼間に授業がない。

だから卒業に必要な単位取得に4年を要する。だが、3年でもOK?

決まった季節・時間帯だけしか授業できないので、年間に取得できる単位数に限界がある。
だから、卒業には4年間が必要ということを前提としている。

だが、最近は、定時制高校のなかにも、学年制ではなく単位制を取り入れている学校も少なくない。つまり、本来設けた時間帯とは、別の時間帯にも生徒が授業を受けられる環境を整え、3年間で卒業が可能なカリキュラムを設けている学校もある。

ただし、途中から急に3年で卒業したいと言っても困難なことは明白。
入学時点で(あるいは、入学前に)学校と生徒が話し合い、3年~4年間をどのように過ごすかを相談せねばハードルは高そうである。そうでなくても、定時制高校では卒業までに、退学する人も多い。
一方で、当初は3年間で卒業することを目指したが、それが困難となり4年で卒業する方針に切り替える人もあるようだ。

以上のような柔軟な制度ともいえる。 

公立の定時制高等学校の教員の雇用は、都道府県費で賄われている

上の話とは、まったく異なる次元の話であるが、ここでこの事実を記す。
改めて、経済的なことは別項を設けるのでここでは簡単に。

公立の定時制高等学校の教員は、原則として都道府県費で雇用されている。
これは、法律によって規定されている(市町村立学校職員給与負担法第2条)。
全国の、都道府県立および、市町村立の定時制高等学校の教員は、原則として、都道府県費で雇用されている。
全日制高等学校の場合は、都道府県立なら都道府県費で、市町村立なら市町村費で雇用される。

山添分校の場合は、9人の教員のうち、村費で雇用されている者は1名半のみ。
「半」というのは、県費と村費を半分ずつで雇用されている人もあるからである。
なお、分校には、教頭先生はいらっしゃるが、校長はいない(本校の校長が兼任)。

もう少し具体例を示しておく。
・山添分校の本校である県立山辺高等学校(全日制)は、もちろん、県費で雇用されている。
・奈良市立一条高等学校(全日制)は、市費である。
・次の項で紹介する五條市立西吉野高等学校(定時制)は、県費である(一部は市費)。

このことだけ、今回は記しておくことにする。

本校化(村立移管)とは?

本校化とは、新しい学校を創ることに他ならない

【1】や【2】で、本校化を目指してきた経緯を説明したが、よく誤解されていることがある。
本校化とは、現在の村立分校がそのまま移行するのではなくて、「新しい学校を作る」ということである。
もちろん、分校があるから、本校化という話になっているのだが、
山添分校を山添高等学校(仮称)に名称を変えてしまえばよいという話ではない。
これは、すべての人が認識せねばならない、とても大事なことである。

少子化が極端に進み、教育の形態が多様化したこのご時世、すべての学校を取り巻く環境は厳しさを増している。
だから、以前はいくつもあった分校(すべて公立)は、ほとんどが統廃合されて、奈良県では、山添分校だけが残っている。
同様に、いくつもあった定時制高校も、統廃合されている状況にある。
私立の高校でさえ、同様である。たとえば、天理教が運営する高等学校は三つ(天理高等学校、天理親里高校、天理教学園高等学校)あったが、いまや前者ひとつだけになってしまう状況にある。

このような状況で、新しい学校が認可されるのであろうか?
上述のように、県の税金をもってして教員が雇用されるわけであるから、
今から作られる定時制高等学校も、
・村民だけでなく、奈良県民が広く理解できる教育を目標に掲げたものでなければならない(と思う)。
・独りよがりの目標でなく、令和の時代に、周辺地域や世間の需要にマッチしたものでなければならない(と思う)。

そうでなければ、統廃合が進むこのご時世において、山添村が胸を張って、新しい学校を創る(=分校を本校化する)と言えたもんじゃない(と思う)。

むつかしいなぁと、既に皆さんは怖気づいたかもしれない。
しかし、喜んでほしい。
つい最近、奈良県内で、本校化した定時制高等学校があるんです。

五條市立西吉野農業高等学校の紹介

最近、本校化した定時制高等学校がある。
五條市立西吉野農業高等学校(単に、西吉野高校と称す)である。
令和3年度・2021年度に、見事に本校化した西吉野高校は、良き前例(目標)となろう。

この学校ができてきた経緯を、山添村の動きと比較しながら、ごく簡単に説明する。

昭和25年・1950年 旧西吉野村に、賀名生(あのう)分校が設立された(県立五條高校の分校)
  学校の名前は、「西吉野村立県立五條高等学校賀名生分校」だった。山添分校と似てる!
  ちなみに、山添分校は、その2年前の昭和23年創立。

平成17年・2005年 五條市と合併したため、五條市立県立五條高等学校賀名生分校となった(設置者が五條市となった)。
  高度成長期とともに全日制高志向が高まり、旧西吉野村や五條市内からの生徒は減少し、市外、県外からの学生が多くを占めるようになった。この状況も山添分校ととても似ている。

・平成23年・2011年 五條市に、太田好紀市長誕生(旧西吉野村生まれ)
  その後、彼は本校化に尽力していくことになる。

・平成28年・2016年頃 山添村が分校本校化を目指し始めた頃と同じころ、五條市も本校化の準備を開始した(と考えられる)。

・平成29年・2017年 家政科が閉鎖され、農業科のみとなった。

令和3年・2021年  五條高校から独立し、昼間定時制のまま五條市立西吉野農業高校に移行(市立移管)
  本校化したこの高校は、生徒を全国募集するようになった。そのために、元看護婦寮だった市内の建物を学生寮に改築して運用している。しかし、それでも、二年目の令和4年度入学生は、定員数ぎりぎりのようである。決して柿農家継承に興味を持つ学生ばかりが集まっているわけではないようである。
  ただし、五條市教育委員会も、西吉野高校と連携して、生徒募集などには相当な力を入れていると聞く。
  一方山添村では、その前年2月から推進委員会が中断し、令和3年には、本校化を推進した森中村長(当時)が、棚上げをにおわす発言をした。

公表されている奈良県の五條市立西吉野農業高等学校の設置認可に関する書類を見てもらいたい。
認可理由は、以下のように記載されている。

設置目的:五條市立奈良県立五條高等学校賀名生分校を廃止して、五條市立西吉野農業高等学校を新設し、専任の校長のリーダーシップの下、農業後継者の育成という使命を担う学校を設置する。

検討結果:学校教育法及び高等学校設置基準に照らしたところ、いずれも別添審査表のとおり審査基準を満たしており、適切である。

設置目的も検討結果も、たった数行の記載だが、関係者の苦労と努力はどれほど大変なものだっただろう?
それに加えて、当高校の本校化には、旧西吉野村生まれの五條市長(太田好紀氏)の存在抜きには語れないであろう(私の推測)。また五條市の柿農家の後継者を育成するという市を挙げての気運があったことであろう(私の推測)。太田市長は、そういうことを上手にまとめて、街ぐるみで本校化を目指していったのではないだろうか。

野村現村長は、私の一般質問への答弁(第四回定例会、令和4年12月6日)で、「五條には柿がある、強力な支持者である柿農家がある」という旨の発言があった。
これは、山添村には、本校化を目指すにあたり、五條の柿のような、やる気を起こさせるような力強いものがないばかりか、高校生を受け入れる人的・経済的・社会的なキャパシティがないという意味であろう。

彼が指導主事として本校化に尽力していた時期、西吉野高校の本校化への道を、傍でつぶさに観察していたことを、私は知っている。上に紹介した村長の言葉から、五條の進展を、彼がどんな気持ちで眺めていたのかを想像することができる。
あの頃、私も分校の置かれた状況や本校化事業の尊さや困難さを、いっしょに理解できておればと、悔やむ。

それでも、やっぱり、今でも、私は、五條市の太田市長のような推進キーパースンは野村村長しかあり得ないと思っている。

だが、ここでは、山添村がこの数年歩んできた本校化挫折(途中休憩と表現したい)をため息で振り返るのが目的ではない。
蛇足となったかもしれない。

ともかく、粘り強く議論して、ちゃんと段階を踏めば、まだ山添分校も本校化が認可される可能性は十分にあることを、成功例で示したいのである。

今日はここまで

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第五回目はここまでです。

今後、どんな学校を目指すのかを考えるために、基本をおさえておきたかった。
どんどん夢を膨らませてほしい。
そんな中から、皆が歓迎するような新しいアイデアが、きっと生まれると思う。

みんなで考えながら、村長や教育長の心を動かしていく。
そんな行程です、これからの道は。

文中で、根拠となる法律などは、紹介を割愛した。
時間のある時に、徐々に整頓して記載していきますので、お許しください。

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この記事を書いた人

野村 信介のアバター 野村 信介 山添村 野村医院長

60歳を過ぎて、山添村で野村医院を継承した開業医です。長年、三重県で勤務医をして過ごしましたが、年齢とともに、郷愁の念断ちがたくなり戻ってきました。
令和3年秋からは、村会議員にも選んでいただきました。野村医院での診療の傍ら、村興しにも精を出し、また、地域の問題に少しでも取り組んでいけるよう努めております。。
若い頃にはなかなか気づかなかった山添村の素晴らしさを、このサイトで皆さんに発信していきたいと思っております。どうぞよろしくお願いします。

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