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絆リレー祭2023
絆リレー祭2023
やんばいのぉ山添村
ええ天気やなぁ山添村
『やんばいのぉ』とは、山添弁で『いい天気だね』という意味です。
『やんばいのぉ山添村』は、関西弁では『ええ天気やなぁ山添村』になります!
『やまぞえ絆リレー祭2023』11月3日 開催決定!

山添村分校の問題 【2】本校化への経緯その挫折 分校の今後の役割

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目次

はじめに

1月3日に、このブログの設立理由を説明したところ、翌日だけで280回もの閲覧歴がありました。
3年前に「やんばいのぉ山添村」という山添村の特化ホームページを自身で開設して以来のことで、皆さんの関心の高さに驚いています。作った甲斐があったというものです。これからも、フォローの程よろしくお願いします。

今回は、平成28年以降、山添村が進めてきた本校化の経緯とその挫折を概説します。
また、将来の分校への期待を表明します。

まだ前回分をお読みでない方は、【1】から読んでもらえたら幸いです。

④本校化を目指していた事実 & 急な「廃校論」と捉えられている理由

平成28年以降の、本校化に向けての経緯を概説します。

村教育委員会提出資料から

下の枠内は、2022年12月の第4回定例会で、教育委員会から提出された文教厚生常任委員会所管資料追加分をそのまま引用したもの(議員への説明のために配布された資料)。ただし青字は、関連事項や注記を私が挿入した。
これを読むと、村が本校化に向けて努力してきたことが分かります。  

その動きに、多くの人が、令和4年・2022年秋まで、分校は本校化するのであろうと期待していた。
だから、令和4年秋に、急に廃校する?本校化を断念する?という話が出て、驚くことになったのも無理はない。

◆平成28年・2016年10月7日 県教育長来村 村長、教育長が対応
 名称が「山添村立奈良県立山辺高等学校山添分校」となっていることにつき
 〇文科省が「村立」と「県立」の共有名称はおかしい。
  『山添村立に変更すべきである』との指導を受けた。
  県教委としてもその指導に従いたい。
  設置者と管理責任者が異なることを是正する旨指導される。
 〇村立高校として歩む(村長)

◆【山添分校村立移管に係る準備会】設立
 平成30年・2018年10月 第1回 から 令和2年5月 第10回
 〇分校後援会長、村教育委員、教頭、教育長、局長(村教育委員会)、指導主事(村教育委員会)

この年、分校は創立70周年を迎えた。翌年2月に記念式典が開催された。その頃、発行された同窓会記念誌には、当時の関係者が70周年の祝辞と共に本校化への意欲を示す言葉が高らかに謳われている。
この年度から、教育主事は二人体制になった(予算を組んで、二人雇用。森中前村長の力の入れようが分かる)。4月、現村長(野村栄作氏)が、二人目の村教育委員会指導主事として赴任されて、分校本校化を担当されるようになった。

なお、この年、県教育委員会は、4月から県立高等学校適正推進方針を打ち出しているが、山添分校のことは、続報ともいえる適正実施計画案にも、どちらにも触れられていない。

◆【村立山添分校本校化推進委員会】
 〇令和2年6月 第1回 から 令和2年12月 第5回
    ※第6回令和3年2月予定は開催されず(以降、令和4年11月まで中断)
 〇分校後援会長、同窓会長、村教育委員、校長、教頭、県教委長補佐、係長、教育長、局長(村教育委員会)、指導主事(村教育委員会)

◆令和2年8月31日 県教育長と面談 教育長
 〇村立高校開校時期について令和4年予定から延期をしたい。
  教育環境整備のために期間をとる。ICT設備の整備。
 □1年延ばすぐらいは良しとする。(2年、3年はよくない)(県教育長)

令和3年1月末、分校本校化を担当した教育指導主事(現村長)は、教育委員会を辞職された。
同年3月、前村長(森中氏)が、本校化は、保育園の統合や小中学校の一貫校化に目途が着いてからだと、優先順位を繰り下げる方針を打ち出した。
同年10月、野村栄作氏が村長選に立候補して当選された。


令和4年3月末で、西久保良隆教育長退任、4月から池住寿弘氏が新教育長に昇任された。

◆令和4年7月13日 県教育長来村 村長、議長、教育長、副村長(が対応)
 〇平成28年度から山添村で検討している山添分校の村立本校化について、その検討結果を本年12月までに報告いただいきたい。
 〇本校化に際し、教員全てが県費負担となるわけではない。

◆令和4年9月 第3回定例会・文教厚生常任委員会の席において、村会議員に対して、村長・教育長から本校化を断念する方向、廃校にすることで検討している旨の報告があった。その時の理由は「財政的に厳しい」ということであった。年末12月には結論を出したいとも述べた。多くの議員から、「今まで本校化で進めてきた経緯からするとあまりに拙速である。」「十分に議論していただきたい。」「分校の価値をどのように考えているのか、廃校には反対である」という意見が多くあった。その一方で、「廃校はやむを得ない」という意見を言うものも一人あった。

◆なお、昨年11月4日、24日の2回にわたって「村立山添分校本校化推進委員会」は再開。
その内容は、改めて項を設けます。
尚、前述の指導主事の予算は2人分計上されているが、令和4年度は、一人が空席のままになっている。

第3回定例会での村長・教育長の発言を、一部の議員が議会報告として折り込みチラシで村民に、「本校化が断念されるかもしれない」と知らせる程度であっったため、一挙に村中が大騒ぎになったわけではない。他の議員は、積極的に地域に情報発信をしていなかった。私もその一人であり、大いに反省しなければならない。
しかし、卒業生(同窓会)や後援会の人たちは敏感に反応し、徐々に声が届くようになった。

私は議員をしながら、村内で診療所をしている医者なので、診察中にこういうことが話題に上る。
「廃校なんて話を聞いていませんよ、本校化してもらわねば困る、驚いています」と口にする人が増えてきた。
私も、次第に村民の皆さんが分校のことをとても気にしていることを感じるようになった。

⑤行政はいつ頃から、本校化を断念したのか? その理由は?

村長は、12月の定例議会の一般質問(これについては、いずれ詳述予定)の答弁の中でも言っているように、令和2年10月の就任当時、「本校化」を目指していたことはまちがいない。
それが、いつ、困難で断念と考えるほどになったのか?
また、そのきっかけは何なのか?

伊賀・山城南・東大和定住自立圏推進協議会(第6回)の発言

それを推測するうえで、村長のこの発言が注目される。

令和4年・2022年8月26日に開催された第6回伊賀・山城南・東大和定住自立圏推進協議会での村長の発言である。
南山城村(京都府)の村長が、「昔のように南山城村の子供達が伊賀市の高等学校に通学できる環境を整えたい」という内容の発言をしたなかで、山添村長は次のように述べている。議事録からの引用である(青字や下線は例によって、私の注記)。

・・・(前略)・・・実際に今、奈良県と三重県はそういう形で繋がり(山添村、曽爾村、御杖村、旧月ケ瀬村地区などの中学生が、越境手続きせずに、伊賀市や名張市の高等学校を受験し、合格すれば入学できることを指す。次の⑦で詳述)があるのですが、今、山添村で大きな課題を抱えていて、今度、山辺高校に通信課を作ることになり、そこで通信教育という形で、広域から、三重県の方からも行けるということで、それは非常に大きいのですけど、その分校である山辺高校の山添分校があるのですが、数年前から県教委の方から、分校をなくすという話がある。奈良には何校かあったのですが、もう今、分校が残っているのはうちだけなのです。3年前から分校を本校化するという話があって、元々は山添村立奈良県立山辺高等学校山添分校だった。それを山添村立の本校にするかどうかという話になりまして、このまま分校でいけば、職員の給与とかは県が持ってくれる。ただ、今、定員割れはずっとそうなのですが、今年入った子が 30 人定員のところ6人しか入っていなくて、また、元々その分校の存在というのが、山添村の農業であるとか、そういったものを継ぐ子たちを育てるという目的で作られていたのですが、最近は地元から行く子が少なくて、三重県や他市から来る子たちが多い。しかも、人数が減っているということで、県教委の方から、年内に方向性をきっちり決めろと催促がきまして、それで今、村の方でもどうするかという話になっている。もちろん卒業生がたくさんいますので、現在山添でいろいろ活躍してくれていて、山添村を作ってくださった方々が山添分校卒業生にたくさんおられますので、そういう方々の気持ちも大事にしたいのですけど、存続となった時に、今は分校で費用の方が県持ちでいけるのですけど、県の方もこの人数でこれだけ職員を雇うというのは厳しいという声も上がっているので、今後は存続するか、それとも、今度、山辺高校に通信制ができるので、そっち側に今までの子たちをお世話になれないだろうかということも検討していかないといけない。


上の④項で村教育委員会資料にもあるように、令和4年・2022年7月13日に県教育長が来村されて、「本校化に関する検討結果を12月までに報告していただきたい」とある。これが、一番強い引き金になっていると推察するのは、私だけではないだろう。

それから、ひと月後の伊賀での発言であるが、下線部分から察するに、「村の方でもどうするかという話になっている」つまり色々相談が始まっていることを意味する。さらに、本校である山辺高校に設置予定の通信制の学科に、分校が廃校になった場合は、分校への進学を視野に入れていた子供達をお世話になれないだろうかと考え発言していることが分かる。かなり具体的なことを、関係者と話し合っていなければ出てこない言葉であろう。
分校の教育が、通信制の教育に代替え可能と考えているようにも思える(そうじゃないと、きっと答えるだろうが)。廃校ありきの人たちからアドバイスされているから、こういう思考になってしまうのではないか。
通信教育とか定時制とか、今後の在り方も、ちゃんと議論するべき部分だが、今日はここで留める。

県の方もこの人数でこれだけ職員を雇うというのは厳しいという声も上がっている」という発言から、県教委からそのような話もあったことが分かるが、第3回定例会・文教厚生常任委員会で、「財政的理由」を第一に挙げたほどの深刻さは、感じられない。

彼等は関係者とそれなりに打ち合わせや議論したうえで、9月の定例会にて「本校化断念」「廃校」を表明したのであろうが、それでも、やはり、寝耳に水。
多くの反対が表明されたのであった。

やまぞえ未来創生計画の記述変更

もうひとつ、資料を提示したい。
やまぞえ未来創生計画」というものがある。
これは、山添村が今なにに重点を置いているのかを示すだけでなく、今後の目標設定を記したものである。

多くの有識者や専門家による未来創生会議のメンバー(多くが村民、一部の村外関係者から構成される)と村長以下役場の全課長らが参加して、中長期的な方針を決めている。
毎年、目標達成度が検証されて、それに合わせて改訂が加えられていく。

これは、実は、“一番上位にある村の基本方針”と言っても過言でないものである。
当然のことながら、山添分校を本校化することも、この中に明文化されている。
やはり、この計画書の文章をそのまま引用する(赤色は変更された箇所)。

【2022年までの記述】
山辺高等学校山添分校の村立移管と教育の充実
・保育園および小・中学校のあり方など、教育施設全体を見据えながら、山辺高等学校山添分校を昼間定時制高校として村立移管を行い、教育内容の更なる充実を図る。

【2022年に改訂された記述】
山辺高等学校山添分校の村立移管と教育の充実
・保育園および小・中学校のあり方など、教育期間全体を見据えながら、山辺高等学校山添分校を昼間定時制高校として村立移管をおこなうことを視野に教育内容の更なる充実を図る。

この改訂は、令和4年・2022年6月28日の委員会で、教育長・教育委員会から提案があり、ほとんど議論なく委員会で了承されてしまった。私もその会議に参加していた(議員になる前から医療関係者として会議のメンバーを勤めている)。

この文言の変更は、「絶対的な目標だった」分校の村立移管は、「本校化しても良いかも」という程度に格下げされたと解釈される。日本人ならそう理解するのが普通である。
この改訂の結果、「本校化(村立移管)を進めると未来創生計画にも書いてあるじゃないか!」という発言は、永久にできなくなってしまったのだ。

にもかかわらず、当時、分校のことにそこまで気が回らなかった。
議論の中のひとつとみなしている程度だったのだ。
言い訳になるが、関心も低かった。
疎い私は、これだけで行動するほどには関心を持てなかった。
なんの議論もなかったことは、多くの人が鈍感・関心度がひくかったことを物語っていると思う。
だった。そう言わざるを得ない。

これは、その後の方針表明へのひとつの布石だったかもしれない。
いや、そうであろう。そう考えない方が不自然である。
この会議が6月28日であったことは、注目に値する。県教育長が来村する2週間も前のことである。
つまり、それ以前から、着々と断念する思考が彼等には始まっていたのである。

この変更が一夜にして練られたものではないだろう。
教育長や教育委員会や総合政策課のスタッフが一人で考えて改訂を上程したものでもないだろう。

*************

◆たった2つの資料しかないけれど、これらから考え得ることは、
・就任早々は、分校を本校化したかった。
・しかし、村長として村内の状態が徐々に見えてくるに従い、本校化は厳しいぞと実感するに至った。あまりにも多くの問題が山積している。自分が2年前に一度は主導した分校本校化もまったく座礁に乗り上げていて、忸怩たる想いに陥ったことであろう。
・そこに7月に県教育長から強い指導(と言う言葉が適切か分からないが)があり、一気に9月の議会で議員に表明するに至った。
ということなのではないだろうか。すべて推測です。

それでも、議員にとっても、多くの村民にとっても、9月の議会で「本校化を断念する方針」「廃校する方針」が打ち出されたことは、「青天の霹靂(へきれき)」だった。

⑥なぜ、自ら悪役になるのか?

ご存知のように、私は、村長の従兄である。幼少から中学卒業まで、兄弟と同等、いや、それ以上に仲良く過ごした。家も隣同士だった。
だから、今回のことは、すぐさま彼に忠告した。
「拙速なことは避けなければ」
「これは、村長の政治生命にかかわる!」とさえ、忠告した。

理解できないのは、今のやり方で、村長や教育長が「悪役」を甘んじて受けていることだ。
卒業生や同窓生は、どうしてあの村長が!?と怪訝視する人もあれば、怒る人たちもある。
失礼だが、県教委を悪者に仕立てる方策だってあったはずだ。
「彼等が断念しろ!」と強権を発動し(事実か事実でないかは別として)山添村は涙を呑んで屈したことにすれば・・・
こんなに反対の声があがるとは、夢にも思っていなかったのかもしれない。

真面目な人なんです、彼は。
私は、表裏がないと信じている。これに関して、なんの裏取引もないと信じている。
逆にいくら親しい仲であっても、私達の間にも、なんの取引もない。これも事実だ。

いや、こういう議論は止そう。

どんなに信じていても、また、どんなに良い人であっても、
唐突で、準備が整わない政策の進め方は、許されない。
たとえ県教委が急かしたとしても、また、一度頓挫しているとはいえ、これは山添村がじっくり議論して決めること。
その時間を十分に確保してもらいたい。

(どれくらい時間が残されているのかは、【3】で検証しているので、読んでみてね。)

そして、ともかく村民の声に耳を傾けてもらいたい。

⑦分校が廃校になったら、村の子供達は、伊賀や名張の高等学校へ行けないの?

『分校が廃校になったら、村の子供達は、伊賀や名張の高等学校へ行けなくなるのですか?』
分校廃校?本校化断念?のニュースが広まるや、村内の友達や知り合いから、一番多く質問されたのは、このことだ。

もうずいぶん昔から、分校には伊賀や名張の生徒が学んでいる一方で、山添村からは伊賀市や名張市の高校に通学しているので、まるで、越境手続きなしで村外の高校に進学できるのは、「交換条件」だと迷信のように信じられてきた。

その答えは「NO」だ!

質問に対する回答は「いいえ」。たとえ分校が廃校になっても、山添村から伊賀・名張の高等学校には従来通り進学できる。
三重県の高等学校に越境手続きなしで通学できるのは、山添村だけではない。
旧月ヶ瀬村の中学生は、今も三重県立上野高等学校か伊賀白鳳高等学校に、曽爾村や御杖村からは、同じく三重県立名張高等学校や名張青峰高等学校に、御杖村からはさらに白山高等学校にも、下北山村からは三重県立木本高等学校に、行ける。これらの村には、高等学校はない。
これは、三重県と奈良県の教育委員会の覚書で決まっているものです。人数制限があるが。

一方で、山添分校は、一次試験の段階から、伊賀か名張の市民で、且つ、公立中学校を卒業した者や卒業見込みの者は入学試験を受けることが出来ると、奈良県教育委員会が明記されている。これは、上記の覚書との交換条件ではない、独立したものである。

すこし話題から逸れるが、昨年12月に、これらのことを確認するために、三重県と奈良県の教育委員会に電話で取材した際、両教育委員会の担当者から、「覚書は近い将来、整備していく項目です」とも教えいただいた。それが何を意味しているのか分かりませんが、急激に少子化が進み、いろいろなことを検討しているということなのかもしれません。

答えが「NO」なら、それで良いのか?

答えが「いいえ」と聞いて、「あゝ良かった」と胸を撫で下ろしている人も多いです。
お子さんの進路に、伊賀市や名張市の高等学校を想定している人には、大きな問題ですから。
しかし、その笑顔を見ると、少し違和感を感じてしまう私です。
分校問題は、そもそも別なのだから、「あゝ良かった」で終わりにしないでもらいたいのです。

分校の将来への提言

よく考えてみてください。
他県から、隣の市から、高校生たちを引き受けているは、どこにありますか?

全国公募しているわけでもないのに。
山添村は、そんな村なんです!


先人たちは、教育立村を目指して70数年前に、分校を作りました。
それは、自分たちの村の将来を担う青年を育てるのが目的でした。
時代が変わり、分校に求められるものは、激変しました。
そのギャップに、当時を知る村民は、戸惑ったり無関心になってしまいました。

21世紀の今、山添分校は、今、自分たちの国の将来を担う青年を育てる学校に脱皮していく段階にあるのでは?
私達村民がそこに興味を持っていけば、それを手助けできるのではないでしょうか?
こんな楽しく夢のある選択肢が、自分たちの手に委ねられているなんて、
うきうきしませんか?


え? 抽象的過ぎますか?具体案を示せと? 

とくかく、簡単に廃校とか本校化断念なんて言わせません。

今日はここまで

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第2回はここまでです。
読んでくださり、ありがとうございました。

もし、【1】をお読みでなければ、どうぞ読んでみてください。

次回は、この問題を考えることができる時間は、どれくらい残されているのか見当します。

さらに今後、
◆定時制高校とは? 
◆本校化は新しい学校を「創る」ことを意味すること
◆特色のある学校づくり
◆本校化に必要な経費
などをテーマにしていきます。

下記にご意見を書き込めるようになっています。ぜひご意見下さい。
ここに実名が出るのが困る人は、野村医院のホームページのお問い合わせフォームからでも結構ですよ。
直接のメールも歓迎します。下記のアドレスにお送りください。
info@yamazoe-love.com

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この記事を書いた人

野村 信介のアバター 野村 信介 山添村 野村医院長

60歳を過ぎて、山添村で野村医院を継承した開業医です。長年、三重県で勤務医をして過ごしましたが、年齢とともに、郷愁の念断ちがたくなり戻ってきました。
令和3年秋からは、村会議員にも選んでいただきました。野村医院での診療の傍ら、村興しにも精を出し、また、地域の問題に少しでも取り組んでいけるよう努めております。。
若い頃にはなかなか気づかなかった山添村の素晴らしさを、このサイトで皆さんに発信していきたいと思っております。どうぞよろしくお願いします。

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コメント一覧 (1件)

  • 私の知っている山添分校第一期生は、卒業からその後、分校農業科の実習補助員として採用され、通信教育で教員資格を得て、教員として就任し、定年後は村議会議員3期を努められ、まさしく山添分校生の模範となるが如くの人でした。私の生まれた年(1949年)に創設された分校に、50年余り前は同級生も多く入学していました。当時は中卒で就職する者もいたなかで、せめて高校へとか、学力、経済的な理由から入学したと思っていますが、その後の卒業生の中には山添村の発展に尽力された方々が多くおられます。その事でもわかるように分校の役割は重要なものでした。現在は入学生数定員割れはおろか村内からの入学生はごく僅かだと聞いています。存続の問題はこの点にあります。仮に本校として村立高校とした場合、村内生徒に限らずいかに多くの生徒が来る魅力あるカリキュラムが発信出来るかを、皆で考え知恵を出すことが大切であって、卒業生が村内に残らないとか、維持経費の負担が大きい等の問題は村民が理解すれば解決するものと思います。

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