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絆リレー祭2023
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やんばいのぉ山添村
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『やんばいのぉ』とは、山添弁で『いい天気だね』という意味です。
『やんばいのぉ山添村』は、関西弁では『ええ天気やなぁ山添村』になります!
『やまぞえ絆リレー祭2023』11月3日 開催決定!

山添村分校の問題 【7】本村の高等学校の「あるべき姿」1月26日現在の私の提案

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目次

はじめに

本校化する学校がどういう学校であるべきか?
私は確固たる考えを、まだ有してはいないが、ブログを始めてからの、この一か月間、考えたこと、得た知識、そして、多くの人たちから寄せられたご意見などを参考にしながら、どういう学校が求められているのかをまとめてみた。

私の考え方と、
新しい学校創りに知恵を絞ってくださる人たちに参考にしてもらいたい情報をまとめたものを
一旦、「1月26日現在の私の考え」として、発表する。

これからも、アイデアになりそうなことや、抑えておきたい基本的な考え方を、更新・改訂していくことになりそうです。

このメモのような内容ではあるけれど、より良い分校を考えて下さる人たちに、少しでも役立てば幸いです。

なぜ、山添村民は、高校存続を願うのか?

もう一度、復習しておこう。

私達は、75年近く、山添分校を有している。
かつて、私達の先輩たちが、自分の子供達のために作った学校。
農業の後継者に高等教育を!という理想を掲げて、それに邁進した。

高度成長期を境に、農業の後継者が減少し、全日制高校への志向が強くなるとともに、入学者は減っていった。
初期の目的は終えたと人は言うが、
今も、村内や周辺市町村から若人が集い学ぶ大切な学び舎である。
教育形態も多様化し、若者の価値観も多様化した結果、この学校を必要とする人は、増えてきたのだった。
いまや、この地域、周辺市町村が必要としている・求めている学校だと言える。

規模が小さくなっても、村内から通う子供が少なくなっても、
分校があることで、私達村民も、有形無形の恩恵を受けてきた。
「村の宝物だ」という人もある。

そのうえ、平成の大合併の時流に反して、私達は一村独立を選択した。
先人たちが大事に育てた村立分校の運命は、自分たちで決めなければならない。
独自の村に、独自の施設を!
そんな気概がある。

これを手放せば、村は衰退の速度を加速してしまう。
それを肌に感じている。
それほどの危機感がある。

分校(あるいは本校化した学校)を核にして、村の振興を願っているのである。

山添分校は、なくさなければならないのか? 答えはNO!

①法律に沿った学校でなければならない

【1】に詳述したように、分校は、県立高等学校の村立分校という複雑な状態にある。
これは是正しなければならない。
そういう意味では、「なくさなければならない」。

かと言って、明日から? 4月から?
そういう問題ではない。
是正の必要性を指導され、本校化をめざしているのである。

このことは、お断りしておこう。

②子供たちのために、必要である。

自分を見つめなおす安全な場所と時間を提供する学校

今の山添分校を、以下のように評して下さる人がある。

社会が多様化している現在、子ども達も、大人も混乱し、行き場を失う方も多い。
そのような人には、じっくり自分や社会を見つめなおす安全な場所と時間が必要。
様々な問題を抱えている子供が多く、ある意味、逃げ場も必要。
そうした状況の中で、新しい自分や、別の生き方、社会への参加手段を見つけ、
自分を開拓し、大いに社会貢献できるように成長する子供たちがたくさんいる。

今の山添分校に通う生徒にも当てはまることであるし、
この学校の一つの役割を、しっかり表わしていると私は思う。

現場の先生の声

ここに平成30年・2018年10月に、「山添分校村立移管に係る準備会」(本校化推進委員会の前身)の資料として、村の教育委員会がまとめた分校の現状と課題という文章の中に、分校の教師の声が紹介されている。
すでに4年以上前のものであるが、読んでみてほしい。

現場の先生の声
・「中学校時代不登校や目立たない生徒がほとんどであり、分校でなら頑張れる」そんな学校にしたい。
・様々な課題を抱えて入学しており、同じ雰囲気を持っている生徒の集まりなので、学校生活を楽しめている。そのような生徒に寄り添えたら喜びも大きい。
・少人数だからこそできるきめ細かな指導、全員にいろいろな役職を与えることだでき、責任をもって仕事をしている。
・じっくり、ゆっくり時間をかけて学んでいくことを大切にしている。4年間だからできる課題研究(インターンシップ)と卒業後の進路保障。
・山添分校がなければ高校生活を送ることができなかった生徒も多いと考えると分校の存在意義は大きいし、教師としてもやりがいがある。

どうですか?
分校の教師がどんな気持ちでお勤めなのか、少し理解できるかと思う。

③山添村のために、必要である。

◉山添村に高等学校があることで、私達も有形無形の恩恵を受けてきた。

 ・分校があるから、若者が集う。
  数十人の青春真っただ中にいる若者が、毎日、村外からやってくる村は、どこにある?
  これは、誰も気づいていないが、山添村の「風景」であり、「文化」になっている。
  それに気づいていないだけ。
  それに私達が気づくのは、廃校になったとき。

 ・分校があることで、豊かになっている。
  私たちの村で、若者が巣立って行く、青春の四年間をここで過ごしてくれる。
  そんな場所や時間を私達が提供しているのは、とても価値あることだ。
  それを私達は自覚していないだけ。

  経済的にも、有利な面があることも忘れない(これは、【6】で述べたので省略)。

 ・卒業生が母校を失う辛さ、失う誇りを、いまさら説明する必要はなかろう。

新しい学校に求められるものが見えてくる

進学校や偏差値だけで評価されていく社会において、学んだり生きていくことに困難でも、別の生き方ができる。
今、教育のありかたも、学生や子供達の価値観が多様化したために、教育を提供する側も、対応の変化が求められている。
分校自身が好むと好まざるとは別として、この10年、いや、20年間、別の価値観をもった生徒や、通常の教育を受け入れられなかった生徒がここで学び卒業していった。

結局、今の分校のこのスタイルは、今の時代に求められた形であり、新しい学校を考えるうえでも大事なものといえよう。

山添村の生徒が行かないから、生徒が減ったから、廃校という意見があるが

私は、村の子供は、村外で学んだら良いと思う(これは、【6】への吉住孝子さんのコメントに賛同して発言している)。
山添村が、これから新しい学校を創り、その運営に力を注いでいるからと言って、自分にとって魅力がなければ、村外でも、県外でも、国外の学校でも、行けばよいと思う。
ここぞと決めたら可能性をどんどん追及していくのは、若者の特権だ。

かと言って、本校化する学校を魅力のない学校にして良いと言っているわけではない。
魅力ある学校、求められる学校になるよう、山添村も学校も教師も、そして村民も、努力しなければならない。
私は認める、自分がそういう努力を怠ってきたことを。いや、分校自体に興味を持っていなかった。
それを反省して、いま、活動している。
魅力あるものにするために考えたいことは、本稿の下記に記した。

村内からの生徒は、数人だという人があるが、
山添中学校を卒業する生徒は例年20人程度である。
その1割が通学しているわけだから、数は少ないけれど、比率が極端に低下しているわけではない。

本来なら、魅力ある学校にすべく努力すべき立場にある人から、こんな極論を聞いたこともあった。
「山添村の子供の半分が分校に行くというのなら、存続したらいい! だけど今は、たった一人、二人。そんな学校にお金を使えるか?」と。
その人は、これから、魅力ある高校にするために努力して下さると私は信じている。

高等学校は、最低限どれくらいの規模が必要なのか?

公立高等学校の適正配置及び教職員定数の標準等に関する法律第5条(高等学校の本校の規模は、一学年の定員が80人以上ときていていた)が削除されたために、小さな本校の設置が許されている。
だから、五條市立西吉野高等学校も設置可能だった。

定数割れをずっと起こすことは、どうかと思うけれど、
最初から小規模校を想定し、一人一人に丁寧な指導が行き届く学校を創ることは、可能だということ。
規模を気にすることはない。

山添村には、生徒が担う産業(農業)がないという意見があるが

五條市には、「柿」産業がある。
これが、市立西吉野高校設立の強い後ろ盾になったことは、まちがいない。
それがないのは、事実だが、

山添村にも別のものがある。
お茶やお米は、もちろんだが、
たとえば、
 ・まめくら大豆
 ・片平あかね
 ・キハダ
 ・ベニホマレ(紅茶)
 ・めえめえ牧場の羊(羊毛、羊肉)
 ・ジビエの材料(鹿・猪)

地域の関係者や守り続けてきた人と、話し合っていかなければならないが、後継者不足に困っていらっしゃるところもある。

卒業生が、これらを基に生活の糧を得るには、まだまだ道のりは険しいが、
すくなくとも、授業の一環で、山添村のこれらの産物の生産に寄与することは可能であろう。
それは、村外からの通学生が多い学校としては、山添村との繋がりを深めていくためにも、是非検討していただきたいことである。

村と分校の連携が希薄、この改善が喫緊の課題

上の項と関連していることだが、
村の人たち、教育委員会、そして、分校の先生たちと、話し合うことが増えたこの二ヶ月、
感じているのは、村立高等学校なのに、いまひとつ、村と分校の繋がりが希薄だということだ。

これは、とても残念なこと。
様々な理由があろう。
まずは、この数年のコロナ禍で人間どうしの交流の場が、減っていること。
それに、分校がそこにあるとは認識していても、多くの人の興味・関心度は高くなかったこと。
教育委員会の中にも、分校のことを担当する人がいなくなったこと。

廃校に舵を切ろうが、本校化を改めて目指そうが、
村との絆を深めることを、分校側も村政側も住民も、模索してもらいたいなと感じている。

繋がりを深め、分校の魅力を高めるための提案

やまぞえ学」とでもいうべきかな。
山添村を知るための実学を課外授業で行う。

たとえば、
山添弁と伊賀弁の違い(実は似ている)。
縄文文化に触れる(山添村は、縄文草創期から栄えていた地域、土器も独特である)
山添村の昆虫や害虫学(めえめえ牧場は、奈良公園にも劣らないフンコロガシの里)
ガリ版(謄写版)講座(山添村は、ガリ版発明家の故郷である)

さらに、山添村と村に関わってくださっている人たちによる実学講座
詩の朗読や創作
抽象画
木工(キハダを用いた家具製作)
若者のための性教育
救急医療
感染症防御の基礎知識
高齢者介護

思いついたままに挙げてみたが、村の内外から、きっと協力を惜しまない人たちが講師を買って出て下さると思う。

これは、令和5年度から、つまり、現在の分校でも、開始できるのではないか。
村民との繋がりを深めるために、そして、分校の魅力を高めるために、
是非学校と相談したいものである。

これらの授業には、村民も参加したらよいと思う。
山添村の文化の拠点になっていけると思う。

村立図書館も

分校問題とは別に、村立図書館がないのは、とても残念。
そういう意見をよく耳にしてきた。

新しい高等学校の図書館は、いまよりずっと規模も大きくしていきたい。
村立図書館を併設して、立派な建物でなくてもよい。
所蔵図書の充実と、使いやすい図書館運営こそが、図書館の命なのだから。

高校生と村民がいっしょに利用できる図書館、これこそが、
村長がかつて描いていた文化の拠点のための、大事な施設ではないだろうか。

通信課に行けばよいという意見もあるが

私に寄せられたある人のご意見を紹介したい。
この人自身が、通信教育によって大学を卒業されているから、まさに実感がある。

通信教育は、通学しなくてもよく、学校へ行く必要がないので、不登校な生徒でもとりくみやすいとされています。しかし、一概にそうでもありません。一人で「取り組む」というのは、とても難しい。これは、通信教育で大学を卒業した私の実感です。
逆に、「行く」ということは、「行く」ハードルは高いが、「行く」ことはそれだけ意義があります。
「行く」ことによって、そこには「自分の場所」があることになるからです。
いくら、ネット社会が発展しても、人と関わらなければ何事も始められません。
そういう意味で、通信教育ではない、「行く高校」としての価値があるのではないでしょうか。

本校の山辺高等学校にも通信課ができた。
伊賀市にも私立の通信課程の高等学校が発足した。
私達の新しい学校は、それらと競合することになりそうだ。

だが、定時制高校の卒業率は、全日制高校よりも低い。
それにもまして、通信教育の卒業率は低い。

私の周囲にも、通信制の高校生が二人いる。
二人とも、馬が好きで、もうその道で生きていくことを決めた子供達だ。
そうです、通信制は、どちらかいうと、やることが早々に決めてそれに邁進する人が、進むべき道かもしれない。

色々言ったけど、それはともかく、
通信教育に任せきりにできない事情を、この人の言葉がよく説明していると思う。

一方で、一旦教室に来た生徒たちは、
リアル教師だけでなく、
特色ある講義を、ネットワークシステムを活用して遠隔授業してもらっても良いと思う。
どんどん利用できる学校にすればよいと思う。

3年で卒業できる定時制高校にできるのか?

定時制高校に通う学生を三年間で卒業できるようにするのが、「三修制」という制度。
新しい学校のスタイルを描く上で、一番大きな課題は、これかもしれない。

社会や地域が求めているものを、しっかり把握して、新しい学校の設計図を描かねばならない。
ここまで見てきたように、ひとつは、「自分や社会を見つめなおす安全な場所と時間を必要とする子供達」のため。
これは、社会的意義がまことに高い。
これだけで、私は、奈良県北東部~伊賀・名張市の受け皿として、立派な存在理由となると考える。

さらに、三修制の導入も、社会からの求めになっている。
そこには、大学への進学をも視野に入っている。
普通化ということになろう。
これについては、前のブログ【5】(定時制って? 本校化ってなに?)にも書いたので読んでみてほしい。

すでに、昨年11月に再開された本校化推進委員会には、分校の教師から、三修制の導入をも視野に入れた計画書も、検討すべき課題として披露されていると聞いている。その導入に要する人員、費用、これによって期待できる生徒数などを、十分に吟味していく必要があろう。

幻の「校名募集ポスター」

このさわやかで素敵なポスター。
私はとても好きです。

令和2年・2020年12月22日に開催された第5回・村立山添分校本校化推進委員会では、令和5年4月の開校に向けて、校名募集のポスターさえ準備が始まっていた。
今から2年前、すでにここまで議論されていたのである。
ここまで仕上げていたのは、なんども申し上げるが、当時教育委員会の指導主事だった野村栄作氏(現村長)である。
それが、棚上げになってしまい、彼の失意はいかほどであっただろうか。

数日以内に【8】でお伝えするが、1月25日の議会全員協議会において、村長や教育長と議会が討論し、1年間をめどに新しい学校づくりについて(作らないという選択肢も否定せずに)、議論しようということになった。

だから、この校名募集にまで至るプロセスを学び、それを、もう一度やろうじゃないか!
村長を含め、当時関わってくださった人たち(と言っても2年ちょっと前)から学ぼう!

ただし、設立の理念や規模・予算の再考が必要である。
当時は、多大な補助金をあてにしていたようであるが、今は、望めない。
いや、望まない方が良いかも。
補助金がないことを前提に計画することが、将来の負担への不安を減らすことになる。
そんな、無理のない学校創りをしよう。

今一度、なぜ山添村が本校化した高等学校を保有する必要があるのかを問うて、
多くの人が認める理念を確認しなければならない。
奈良県の理解、奈良県民の理解を得なければならない。

今日はここまで

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ここまで長いブログを読んでくださり、ありがとうございました。
最初にお断りしたように、まとまりのない、雑多なアイデアや情報を並べただけの記事になってしまいましたが、
多くの人たちに、見ていただき、今後の議論の材料にしてもらえたら幸いです。

また、本稿についても、どうぞ忌憚のないご意見を聞かせて下さいますようお願い申し上げます。

次号【8】は、1月25日に開催された議会全員協議会での討論内容を予定しています。

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この記事を書いた人

野村 信介のアバター 野村 信介 山添村 野村医院長

60歳を過ぎて、山添村で野村医院を継承した開業医です。長年、三重県で勤務医をして過ごしましたが、年齢とともに、郷愁の念断ちがたくなり戻ってきました。
令和3年秋からは、村会議員にも選んでいただきました。野村医院での診療の傍ら、村興しにも精を出し、また、地域の問題に少しでも取り組んでいけるよう努めております。。
若い頃にはなかなか気づかなかった山添村の素晴らしさを、このサイトで皆さんに発信していきたいと思っております。どうぞよろしくお願いします。

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