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やまぞえ絆リレー2020
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やんばいのぉ山添村
ええ天気やなぁ山添村
『やんばいのぉ』とは、山添弁で『いい天気だね』という意味です。
『やんばいのぉ山添村』は、関西弁では『ええ天気やなぁ山添村』になります!
『やまぞえ絆リレー2020』2021年5月9日に延期となりました。

古い診療所は故郷からの贈り物 オールドクリニックのすべて/その壱

目次

◎ はじめに  野村医院旧診療所(オールドクリニック)にようこそ。

みなさん、こんにちは。

このサイトでは、オールドクリニックに関わるありとあらゆる物事を紹介していきます。
現在も開設以来120年以上にわたり地域医療に携わっている野村医院のルーツですので、オールドクリニックについて語りながら、今日にまで受け継がれている医療姿勢とも関連するような話題も紹介することになろうと思います。
どうぞお楽しみに。

◎ オールドクリニック修復の経緯

野村医院は、1897年(明治30年)開設 

野村医院が誕生してそろそろ120年を迎えようとしていた2014年(平成26年)頃、実は私達野村家にとって旧診療所の補修は、まったく予想だにしなかったことでした。

この建物は、今でこそ「オールドクリニック」と私達は愛情をこめて呼んでいますが、あの頃は、ほとんど建物の内部に入ることもなく、放置された状態でした。

初代院長・野村千太郎が明治30年(1897年)に旧波多野村(現在の山添村)大西にて、この旧診療所を開設したのが野村医院の始まりです。それ以来、明治・大正、そして昭和にかけて約75年間、この診療所は地域医療の要として活躍しました。

昭和10年頃の旧診療所。
当時は東西方向に建てられており、
現在とは異なるところに入り口があった。

しかし、三代目院長・和男が1972年(昭和47年)に新しい診療所を県道沿いに建てた結果、この建物はほとんど顧みられることがなくなりました。都会であればすぐにでも取り壊されていたかもしれませんが、片田舎の田んぼの前に建っていたので、そのまま遺されました。その結果、開院以来の医療器具や代々の院長の書籍もそのままそこに置かれて、片づけられることもありませんでした。
さらに、野村家の子供達が成長するに従い、衣服や文房具、教科書などの物置代わりとなっていきましたが、彼らが社会人となってからは、その役目もお払い箱になり、時が流れました。古い診療所の存在は、誰もが認識しているものの、触れることもなく40年が経過したのです。

雨樋の破損によって白壁が崩れ、修復を決意

ところが、前述のように2014年(平成26年)、雨樋の破損によって白壁が崩れ落ち、内部に野良猫が棲みつくようになり、私達は重い腰を上げました。
親しくしている左官屋さん(亀谷敏律氏)に傷んだ壁を補修してもらい、屋根や床の状態も確認してもらいました。幸い、雨漏りはなく床も頑丈でした。

2014年(平成26年)頃のオールドクリニック
壁の痛みが目立つ。
2016年(平成28年)春
壁が補修されている。
2017年(平成29年)4月
犬走の改修中(名張市・大同建設)

内部の片付けと掃除には、実に二年を要しました。
週末になると、家族総出で床や板の壁、ガラス窓を徹底的に掃除して綺麗にしました。
木の床や窓枠、それに家具からは、恐ろしいほど埃やゴミが、洗っても洗っても出てくるのには閉口しましたが、今となっては楽しい思い出です。

手入れを始めると、古い建物が呼吸を始めたように感じられました。床や窓やドアのノブなど、眼に触れるものが皆、輝き始めました。
手をかければかけるほど、祖先が建てたこの建物への愛着が高まり、次第に魅了され、私達はいつしか「オールドクリニック」というニックネームで呼ぶようになっていました。

綺麗になったオールドクリニックの内部
天井の高い待合室

電気を通し、トイレや炊事場を設置

傷んだ建物を修復し、物置と化した内部を整理整頓しているうちに、この建物をいろいろな目的で使用したくなりました。
元々、診療所としてこの建物は、70年以上も働いていたから、また何かの役割を与えたかったのです。

そのため、電気を通しました。
トイレも設置しました(診療施設だから、元来この施設にトイレは存在しなかったのです)。
簡単な料理もできるようにミニキッチンも設置しました(薬を調合していた部屋に、タイル張りの小さなシンクがあったので、そのイメージを崩さないように工夫して作りました)。
トイレやミニキッチンの設置には、大阪のリフォーム専門家・田中力哉氏にご尽力賜りました。

さらに、エアコンを設置したり、ピアノのために床の補強も行いました。

電球を灯したオールドクリニック(2017年ころ)
2016年(平成28年)11月
元の手術室
2016年(平成28年)12月
手術室の雰囲気を維持しながらトイレを新設した
元薬局部屋にあった小さなシンク
シンクのあったところに新設したミニキッチン

オールドクリニックを様々な活動の場に

ガリ版の普及活動
オールドクリニックを利用した活動の一例
大西地区に所縁のあるガリ版講習会が、地域情報誌YOUの取材を受けました(2017年8月)。

2016(平成28年)年半ばになると、色々なイベントを企画できるようになりました。
それから数年の間に、数多くのイベントの会場になりました。
 ◆ガリ版講習会や地域の歴史研究会の会場に。
 ◆ヴァイオリンや尺八、タンゴのコンサート会場に。落語家にも来ていただきました。
 ◆地域の人々が集うヨガ教室、料理教室などの会場に。著名な美容師に来ていただいたこともあります。
 ◆そして、絆リレーをはじめとするいくつかの団体の会議室に。
 ◆さらに、2018年6月からは地域の高齢者が集うコミュニティ・ハウスとしても利用するようになりました。
これらについては、いずれ別の機会に振り返ってみたいと思います。

このようにして、着手してから丸2年を要して、オールドクリニックは”機能する元医療施設”に変貌を遂げました。
私達は、ですので、入り口の脇に下のような記念プレートを設けました。

「再開」というのは医療施設としてではなく、
【新たな使途で再出発】するという意味です。

◎ 登録有形文化財指定への経緯

教育長の視察

修復工事を始めてすぐだから、2014年(平成26年)の半ばでしたが、山添村教育委員会の方々と相談して、登録有形文化財の申請ができるかどうかを検討しました。

福山茂光教育長(当時)の視察も受けました。まだ荷物の片付けが間に合わず、埃だらけの建物内部に足を踏み入れてくださり、恐縮したものです。
あまり見せるものではありませんが、当時の元手術室の風景をご覧ください。これでも、半分片付いて、ようやくゴールが見えてきたと、胸を撫で下ろしていた頃のものなのですから、どれほど大変だったか想像つくでしょう。

物置と化していた元手術室

2019年3月 登録有形文化財指定

福山前教育長の視察からちょうど5年目にあたる2019年(平成31年)3月、我がオールドクリニック(野村医院旧診療所)は、文化庁から登録有形文化財の指定を受けました。山添村には古くて立派な建物が多いですが、この指定を受けるのは、当施設が最初でした。

オールドクリニックは、
 ・築後120年以上経過していること、
 ・地域の医療を支えた現場であったこと、
 ・人々がこの建物のことを今でも忘れずにいてくださること、
そして、
 ・現在も山添村の風景に溶け込んでいること、
などが評価されたものと考えられます。

山添村教育委員会をはじめ、登録にご尽力を賜った多くの関係者の方々に謝意を表します。

故郷に産声を上げて120余年、地域の人々に野村医院を支えてもらったからこそ、このオールドクリニックが形あるものとして引き継がれたのです。だから、私達野村家にとって、これは祖先からの贈り物であると同時に、故郷山添村からの贈り物なのです。

◎ これからのオールドクリニック

今年2020年(令和2年)は、コロナ禍のために、オールドクリニックの機能は十分に活かされているとは言えません。
コンサートもコミュニティ・ハウス活動も休止しています。
しかし、いつか再び世の中が落ち着いたら、今までにも増して、オールドクリニックの魅力を多くの人に知ってもらうべく、活動を再開したいと考えています。

特に、長年続けられてきた野村家の地域医療の歴史にスポットを当てて、活動していくつもりです。
すでにお気づきのように、このブログもその一環として始めましたので、どうかご愛読いただけましたら幸いです。



シリーズ‟オールドクリニックのすべて” #2, #3, #4も読んでみて下さい。

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この記事を書いた人

野村 信介のアバター 野村 信介 山添村 野村医院長

60歳を過ぎて、山添村で野村医院を継承した開業医です。長年、三重県で勤務医をして過ごしましたが、年齢とともに、郷愁の念断ちがたくなり戻ってきました。
野村医院での診療の傍ら、村興しにも精を出しております。若い頃にはなかなか気づかなかった山添村の素晴らしさを、このサイトで皆さんに発信していきたいと思っております。どうぞよろしくお願いします。

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