引き出しから出てきた‟珍品”薬礼
収蔵品㉛話とともに、紹介したいのがこの薬礼です。
私達野村家の者としましても、まったく初耳、まったく知らないものでした。
「大正時代の日付を記入する野村医院尾山出張所の薬礼」です。
野村医院オールドクリニックの引き出しから見つかりました。
この2枚だけです。
どんなにうがった見方をしてみても、この薬礼が示すことは、
【大正時代に月ヶ瀬村尾山地区に、野村医院の出張所が存在した】ということでしょう。
もう少し研究してから報告するべきか迷いましたが、なかなか研究の糸口が見つからなくて調べようがありません。
ですから、ブログでこれが見つかったことを紹介して、何かご存知の方から情報提供を待つことにしました。
尾山地区とは、旧月ヶ瀬村(現在の奈良市月ケ瀬)の大字・尾山のことです。
2005年(平成17年)に奈良市に組み込まれるまで、尾山地区は、月ヶ瀬村の村役場や農協、小中学校がある村の中枢部でした。現在でも有名な月ケ瀬梅渓の観光客が集まる地区でもあります。
この地区に、野村医院の出張所が存在したのは、間違いないことのようです(こんな薬礼が偽物であるはずがない)。
野村医院と尾山地区との関連は?
以前のブログ記事を思い出してみると、初代院長・千太郎の往診馬(春風)は、尾山の福田金治さんから明治37年(1904年)譲られたものでした。春風は、その後18年間野村医院で飼育され(往診馬として仕事して)、大正11年(1922年)に亡くなっています。
だから、この大正時代の薬礼とも時期が一致します。
野村医院や当時の野村家の人々と、尾山地区とは、並々ならぬ関係にあったと推測いたします。
どんな出張所だったんだろう?
誰か代理の者が、この出張所に常駐して患者さんを診ていたでしょうか?
それとも、野村千太郎(初代院長)が週に一回?月に数回?尾山出張所に出かけたのでしょうか?
まだ電話も不自由な時代に、どうやって、取次をとっていたのでしょうか?
オールドクリニックのある山添村大西地区から、尾山地区の元・村役場のあった場所まで、直線距離でも4Km以上あります。
当時、山道を越え、名張川の向こう側にある尾山まで、もし春風に騎って行ったとしても、その行き来はかなり大変だったと想像します。
月ケ瀬村の中枢部・尾山地区に出張所があったことから、この近辺の患者さんを相当数診療したにちがいありません。
なんというバイタリティでしょうか!
当時の医師の力量はもちろん、そのエネルギッシュな仕事ぶりが、この薬礼からもうかがうことが出来ました。
「尾山出張所」について情報お待ちしております。
☆☆☆
今日の話はここまでです。
まだ詳細が分かりませんが、ともかく、新発見なのです。
私達も全く知らなかったことが、この薬礼から判明しましたから、急いで報告しました。
大正時代に存在した尾山地区の野村医院の出張所について、
どんな情報でも結構ですので、ご存知の方がありましたら、ぜひご連絡くださいませ。
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