象牙製聴診器 Chest and Ear pieces of stethoscope
オールドクリニックに、いくつも遺されている象牙の聴診器。
Chest and ear pieces of stethoscope made of ivory.
Circa 1890?
This type stethoscope used to be popular among physicians until 1960.
In addition, Traube type stethoscope is presented below.
聴診器が我が国に初めてもたらされたのは、 1848年(嘉永元)にはオランダの医官・モーニケによると言われています。彼がもたらしたものは下に示すトラウベ型(後述)だったかもしれませんが、両耳で聞く聴診器もその頃既に発明されていました。
明治になって、聴診器は西洋医学の普及とともに急速に広まりました。
推測でしかありませんが、明治30年、千太郎がここで開業した時から、このような聴診器で診察をしていたと考えられます。当時既に、西洋医の持ち物といえば、聴診器と相場が決まっていました(現代でもそうかもしれません)。
明治25年頃の医療機器の型録を参考にすると、
象牙の聴診器は、2~3円(1円で10Kgの白米が買えた)、水牛製のものは1円程度だったようです。
しかし、なぜ象牙製がもてはやされたのでしょうか?
「親の形見に象牙の聴診器を持っている」という友人もいるくらいですから、日本中で明治以降(あるいは、それ以前から)象牙の聴診器が、相当広く使われていたと考えられます。
欧米でも、古いカタログなどを見ると、象牙製と書かれていますから、一時期、多くの臨床医が使っていたと思われます。なぜ、象牙製だったのか、当時のものづくりや医療文化を調べてみたいものです。
そんな聴診器も、1960年?頃から、次第に機能性に優れた近代的な聴診器に替わっていきました。
象の保護の観点から象牙の流通が問題視されるようになる以前から、機能的に顧みられなくなったのだと思います。
一方、上の写真で示したトラウベの聴診器は、あまり馴染みのないものでしょう。
両耳で聴くような聴診器が頻繁に用いられるようになった後も、産婦人科では長く用いられました。
妊婦さんのお腹にこれを当てて、胎児の心音を聴取するための聴診器です。
産婦人科医であった私の母親・正子が用いていたものかもしれません。
私も学生実習(ポリクリ)の際(1980年)、産婦人科病棟で使った記憶があります。
当時、ようやく超音波機器が使われ始めた頃ですから、まだトラウベ聴診器は必須の道具でした。
私の一歳の誕生日 1958年夏
この写真は、私が一歳の誕生日。
山添村には、面白い風習がありました。我が子が一歳になると、このように鏡餅を入れた袋を肩にかけ、物差しを杖代わりにして、「とおみ」に立たせます。その前に、子供の興味を惹きそうなものを並べて、自由に選択させて、将来の職業を推測するのです。
私の目の前には、聴診器(もちろん象牙です)、算盤、ペンなどが並べられたようですが、
さて、いったい何を選んだんでしょうか?