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『やんばいのぉ』とは、山添弁で『いい天気だね』という意味です。
『やんばいのぉ山添村』は、関西弁では『ええ天気やなぁ山添村』になります!
2024年7月20日(土)14時半~ 野村議員の講演会・議会報告会開催します

アスピリンの先輩・サリチル酸薬品瓶 オールドクリニックの収蔵品⑲

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目次

Medicine Jar for Salicylic acid サリチル酸ナトリウムの薬品瓶

A medicine jar for salicylic acid
Circa around 1900.
Salicylic acid is a drug used worldwide as an analgesic and antipyretic until the development of aspirin. Quinine was so expensive that people accepted it as a substiture for quinine, despite strong side effects of salicylic acid.

The fate of salicylic acid in our old clinic must have been short. This is because aspirin, which was synthesized in 1897, rapidly spread throughout the world in the early 1900s as the most reliable and most analgesic antipyretic with few side effects.

Even then, it may have been used as a dermatological agent for a while in our old clinic. As you know, salicylic acid is still the most commonly used as skin care product today?

サリチル酸ナトリウムの薬品瓶
おそらく1900年前後のもの。
サリチル酸は、アスピリンが登場するまでの間、世界中で鎮痛解熱剤として広く用いられた薬剤でした。キニーネがとても高価なものだったので、人々はたとえ副作用が色々あってもサリチル酸をキニーネの代わりに受け入れざるを得ませんでした。
当オールドクリニックにおけるサリチル酸の運命も短かったと思います。1897年に合成に成功したアスピリンは、1900年初頭には、世界中に最も信頼できる副作用の少ない鎮痛解熱剤として瞬く間に広まったからです。
それでも、しばらくは、皮膚の外用薬として、私の祖父や曽祖父は利用したかもしれません。ご存知のように、今日においてもサリチル酸は、魚の目治療のスピール膏や角化した皮膚を柔らかくするスキンケア商品としてとても広く使われていますからね。

オールドクリニックに遺るサリチル酸ナトリウムの薬品瓶

遮光のために、茶色く分厚いガラス瓶に入れられて、古い薬品棚に保管されていました。
ガラス瓶のデザイン、ラベルの字体や、ラベルの紙の質、などから、
明治時代のものと考えられます。
きっと、開業当時からここにこの瓶はあるのではないかなと思います。

我が国でサリチル酸は生産・販売されていたのでしょうか?
私は、まだ調べることができずにいます。
ただ、明治時代のいろいろな医療事情を記した本を読むと、大正時代まで、全国の開業医が国産の薬品を使わないで、ドイツ製など欧米の薬剤を好んで処方するのを、国内の薬品メーカーが苦々しく思っていたことが分かります。
我が初代院長・千太郎もそうだったかもしれません。
ですので、この瓶の中に残っている粉末は、遠く海外から輸入されたものかもしれないですね。

♦その後、第一次世界大戦が勃発すると、とくにドイツからの薬品は一切輸入できなくなり、国内の医療に大きな影響を及ぼしました。国内薬品メーカーがこれによって成長したことは言うまでもありません。
さらに、後述のアスピリンには、とんでもない運命が待ち受けていました。

アスピリン・サリチル酸の開発の歴史と語源

ヒポクラテスが2,000年以上前に楊(ヤナギ)(salicaceae)の樹皮を煎じて飲むと、鎮痛解熱効果があると記載ていることは有名な話。古くから、インデアンがネコヤナギを、ホッテントット族が川柳を、風邪やリウマチになると飲んでいました。中国では歯痛には柳の枝で作った爪楊枝が利用されていました。
1830年、Henri Leroux(フランスの薬学者)が、白い葉の柳 Salix albaの幹からsalicinを抽出することに成功。鎮痛効果がありましたが、とんでもなく苦いうえに胃腸障害が強くて服用できるものではありませんでした。
1838年、Rafaero Piriaが、salicinから無色透明のサリチル酸salicylic acidを合成しました。これが、当館の薬品瓶のものと同じものです。salicinよりはマイルドでしたが、やはり同様の副作用に患者さんは耐えなければなりませんでした。
同じ頃(1835年)Piriaとは別に、別の植物からサリチル酸を合成した人がありました。ドイツの化学者 K. J. Lowigです。彼は、シモツケ(spiraea plant、下図)から抽出精製したので、スピール酸(spirsaure)と名付けました。実はこれはサリチル酸と同一のものであることが証明されたのです(1853年)。

スピール酸(サリチル酸)抽出の元になったシモツケ spiraea plant
Wikipediaより引用


江戸時代に我が国にも伝わり、 撤里失涅(さりしん) とか水楊酸(すいようさん)と呼ばれていました。のどかで素敵なネーミングです。

1853年、C.F. von Gerhard(フランスの化学者)が、サリチル酸をアセチル化したacetylsalicylic acid(アセチルサリチル酸)を合成しましたが、精度が悪く、この物質は、次のHoffmannの発明まで、日の目を見ませんでした。
1897年、Felix Hoffmann(ドイツ製薬会社バイエルの研究員)が、Gerhardの方法を改良し、純度の高いアセチルサリチル酸の生成・合成に成功しました。これが、現在でも世界中で使われている【Aspirinアスピリン】です。鎮痛解熱効果は素晴らしくて、サリチル酸やキニーネのような副作用は極めて軽微でした。

第一次世界大戦中に、アスピリンの輸入がドイツから途絶えた連合国側がどれほど困ったかを表すエピソードがあります。イギリスではアスピリン同等の薬剤を開発した者に懸賞を与えることさえ行われたのでした。

第一次世界大戦のドイツの敗戦の結果、連合国から敵国財産没収の一環として、バイエルの商標、社名、社章(ロゴ)までもが競売にかけられ、後のち1994年にバイエル社がすべての権利を買い戻すまでの76年間はアスピリンは権利を買い取ったスターリング社によって製造が続けられましたが、その間も商品名は「バイエルアスピリン」でしかもバイエルクロスのマーク付きで売られていました。 いかにバイエル、そしてバイエルのアスピリンへの信頼が高かったかといえるエピソードです。 また第二次大戦後に連合国はナチスドイツによる戦争犯罪清算目的にいわゆる財閥解体を行いましたがバイエル社は例外的に単体での企業継続が認められました。
その後第一次世界大戦によって輸入が途絶えたため同社は開店休業となりましたが、終戦後営業再開され1927年(昭和2年)にはバイエル・マイステル・ルチウス薬品合名会社が設立されました。 1935年(昭和10年)にはバイエル薬品合名会社と改称、1973年(昭和48年)にはバイエル、武田、吉富の3社による日独合弁のバイエル薬品(株)が設立され現在へと継承されています。
この青字の項は、北多摩薬剤師会サイトを参照にしました(一部改変)。

♣Aspirinという言葉は、
1899年、バイエル社は、アセチルサリチル酸を「アスピリン」と命名、商標登録して、さらに錠剤にして販売し始め、世界中に瞬く間に販路を広げました。ドイツ人は、ここまで見てきた歴史の中でLowigが命名したspiraure(1835年参照)から名前を考案したのではないかと私は思うのですが(同じドイツ人だから)、天然ではない・人の手で合成して創薬したものだから、否定辞”a”をつけて【Aspirin】と名付けたと言われています。

♣スピール膏も実はサリチル酸
魚の目の薬として スピール膏がありますね。これも主成分はサリチル酸です。Spir膏と名付けるはずが、分かり易いSpeelに代えたのでしょう。それとも誰かがスペル間違いしたのでしょうか?

♣ シモツケの果実 (アイキャッチ画像参照)
この植物の仲間には、果実が螺旋状をしているものがあることから、spraeaと名付けられました。
ラテン語でspiraは「ねじれ」という意味です。英語でもspiralなどに繋がっています。
人類の敵・梅毒のスピロヘータspirochaetaも螺旋状の動きをするから、こんな名前がつきました。

そうそう、最近、我々の精子も実はスピロヘータと同じような動きをしているという新説が現れました!
精子とスピロヘータが同じ動きをしているなんて、気分は複雑です・・・

精子が螺旋状に運動しながら進むことを示した動画からの引用。
サリチル酸の瓶を見ながら、今日も色々書いてみました。
サリチル酸は、アスピリンの先輩ですが、キニーネは、サリチル酸の大先輩にあたります
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♦♦♦
終わりに

120年前に、人々が苦くて胃が痛くなるような鎮痛剤を、どんな顔をして服用していらっしゃったのか。そんなことを考えながら書いてきました。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

薬品棚には、まだまだいろんな瓶が遺されていますので、ときどきアップしていきます。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

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この記事を書いた人

野村 信介のアバター 野村 信介 山添村 野村医院長

60歳を過ぎて、山添村で野村医院を継承した開業医です。長年、三重県で勤務医をして過ごしましたが、年齢とともに、郷愁の念断ちがたくなり戻ってきました。
令和3年秋からは、村会議員にも選んでいただきました。野村医院での診療の傍ら、村興しにも精を出し、また、地域の問題に少しでも取り組んでいけるよう努めております。。
若い頃にはなかなか気づかなかった山添村の素晴らしさを、このサイトで皆さんに発信していきたいと思っております。どうぞよろしくお願いします。

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