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絆リレー祭2023
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『やまぞえ絆リレー祭2023』11月3日 開催決定!

武田製薬のビタミン注射薬 SPELZON オールドクリニックの収蔵品⑬

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第二次世界大戦前に作られたビタミン剤の注射アンプル

An original box for the vitamin B injection ampoules,SPELZON, produced before World War II,by Takeda Chobei Shoten Co., Ltd.
Takeda Pharmaceutical Co., Ltd., still a leading pharmaceutical manufacturer, was founded in 1781, and established Takeda Chobei Shoten Co., Ltd. in 1923, and in 1942 the company name was changed to Takeda Pharmaceutical Co., Ltd.
Therefore, this injection drug was made between 1923 and 42.

Many unlabeled ampoules were found from this box. There is no confirmation that these ampoules really contain this drug SPELZON.
Ampoule size, about 10 cm high. Each tip has a different shape. Yet the manufacture of glass ampoules does not seem to be so sophisticated. These ampoules, therefore, should be made before WWII.

第二次世界大戦前に作られたビタミン剤の注射薬スペルゾンSPELZONの箱。
現在も有力な製薬メーカーである武田製薬株式会社は、1781年創業、1923年に株式会社武田長兵衛商店を設立し、1942年に社名が武田薬品工業株式会社と改称されました。
だから、この注射薬は、1923年∼42年までに作られたものと判断ができます。
おそらくビタミンB製材と考えられます。

この箱からたくさんのガラスのアンプルが見つかりました。ラベルがないので、これらが、SPELZONなのか別のものなのか、判断がつきません。ただし、箱には内容が2mlとあるので、このアンプルの規格と矛盾はしません。
アンプルの高さ、約10㎝ですが、先端の形はひとつひとつ異なっており、まだ、工業製品としてアンプルの制作が洗練されているようには見えませんので、これらのアンプルもおそらく戦前の製品であろうと推測しています。

当時は、どこに注射したか?

注射と単に言っても、静脈注射、筋肉注射、皮下注射の三種類が今日では使い分けられています。
当時(戦前まで)は、一般的には「皮下注射」や「筋肉内注射」が行われていました。
注射針や注射器も、まだ洗練されたものではありませんでしたから。

このスペルゾンは容量2mlですから、もっぱら皮下注射に利用されていたのではないかと推測しています。

アンプルはドイツ語読み? 

我々は、医療関係者でなくても、注射のガラス製容器を「アンプル」と何気なく呼んでいますが、これは、おそらくドイツ語のAmpulleをそのまま読んでいるのではないかと思います。
第二次世界大戦までは、日本の医学教育のなかでも、実地医家のなかでも、ドイツ語は大きな存在でした。このブログにも、ドイツ語で書かれた医療器具や薬品瓶を紹介してきましたね。

実際には、アンプルはフランスで開発されて経緯があり、「真ん中が膨らんだ」という意味をもつ言葉を充てて、ampouleという言葉ができたそうです。英語でもこの言葉がそのまま使用されているのでしょう。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
当時のアンプルの技術的な未熟さが分かりました。

注射器や針は、いったいどうだったのかな?
興味がありますね。
きっと、明治時代の「注射器」や「注射針」についても、近いうちに投稿させてください。

それでは、皆様、ありがとうございました。

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この記事を書いた人

野村 信介のアバター 野村 信介 山添村 野村医院長

60歳を過ぎて、山添村で野村医院を継承した開業医です。長年、三重県で勤務医をして過ごしましたが、年齢とともに、郷愁の念断ちがたくなり戻ってきました。
令和3年秋からは、村会議員にも選んでいただきました。野村医院での診療の傍ら、村興しにも精を出し、また、地域の問題に少しでも取り組んでいけるよう努めております。。
若い頃にはなかなか気づかなかった山添村の素晴らしさを、このサイトで皆さんに発信していきたいと思っております。どうぞよろしくお願いします。

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