お隣の県へ
もうかれこれ半世紀近く前になるが、父の仕事について行ったお客さんの家が山添村にあった。
山添村というのは後でわかったことであるが、父に『奈良へ行くさかい、手伝いで付いて来てくれ』と言われ、車の助手席へ。どの道を通ったのか全く記憶がないが、既に名阪国道が開通していたからそこを通ったのか、それとも白樫や治田の集落を通る国道25号線だったのか、今も思い出せない。
奈良と聞いて木津川沿いの国道163号線を通って行く、鹿のいる奈良かと勝手に思っていたが、どんなところか想像を膨らます暇もなく、あっという間に車は停まった。
斜面に建つ家
道端に停めた車の窓から見える景色は右も左も山ばかりで、どこに家なんかあるのだろうと思っている私に『早よ下りて、そっち持って!』と父の声が耳に入って来た。
『あの上の家まで運ぶんや』と口にした父の見上げる先に何軒かの家が建っていた。
それは山の斜面に張り付くように、下から見上げれば雛壇のように、家の屋根の上にまた家がというように、うまい具合に建っている家すべてが下から見ることができた。
目的の家は車を降りて、急で狭い坂道を上ったところにある大きな家だった。車の荷台から建具を下ろし、父が持った反対側の端を私が持つことになったが、その急な坂にかかると後ろになった私の方に建具の重みがかかり、尚且つ足元が見えないので途中何度も止まっては持ち替えたりした。そんな状況を見ていた父は二本目の建具をひとりで持って上がって行った。それを見て私も真似をしようとしたが、持ち方がわからず結局父に3本目以降もひとりで運ばせることになってしまった。
何本の建具を父が運んび上げたのかこれも記憶にないが、家の前まで来て振り返って下を見ると乗ってきた白い車が小さく見えた。
父の背中
目の前の家の屋根は瓦が載っているが、荒壁が塗られてあまり日が経っていないようで近づくと土の匂いがぷ~んとした。建具の入っていない開口部から中へ足を踏み入れ、土間から見えたのは床板が貼られた広い空間に所々に柱が立っているだけの殺風景なものだった。
父はその土間に面した部屋にはめる建具を入れに来たのだった。土間からその床板が貼られただけの部屋へ上がるために大きな石を踏み台にして上がったのを覚えてる。今思えば、土間と部屋の段差が結構高かったのだろう。
父は家具でも建具でも、依頼があったら何でも作る木工職人であった。私が覚えているのは、バーや銀行のカウンター、学校の椅子の修理やザラ板の製作、換気扇の木枠、もちろんタンスや勉強机など木材でできるものは何でも作っっていたと記憶している。
仕事の依頼は直接お客さんから入ることもあるが、同業者やガス会社など関連の業者からも結構仕事を貰っていたようである。同業者からの場合は、その業者が忙しくて対応できないから回ってくる場合と、あとで知ったことではあるが父に任せておけば間違いないと信頼されて仕事が回って来たのもあったようだ。
上野のヒンターランド
山添村で建具を入れる仕事がどういうルートで受けることになったのかはわからずじまいであるが、当時の上野市だけでなく、島ヶ原や大河原、美杉村太郎生、月ヶ瀬など、隣の府県へも結構出かけていたのを覚えている。
父のようにひとりの職人であってもその営業エリアは隣接する府県にまで及んでいたのである。市内では競争相手が多く、隣接府県へ行かなくては食べていけなかったのかもしれないが、いずれにせよ伊賀市(当時は上野市)というところはこれら隣接する町村があって成り立っていたことは父の仕事の範囲からも推察できるようである。
こんな父の仕事がきっかけで私の山添村との出会いがあった。あれから半世紀、今度は自分が運転席で伊賀上野から山添村へ向けて走っている。