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やまぞえ絆リレー2020
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やんばいのぉ山添村
ええ天気やなぁ山添村
『やんばいのぉ』とは、山添弁で『いい天気だね』という意味です。
『やんばいのぉ山添村』は、関西弁では『ええ天気やなぁ山添村』になります!
『やまぞえ絆リレー2020』2021年5月9日に延期となりました。

橋で繋がる 上野と山添 No.3

目次

橋で繋がる

川があれば、人は橋を架ける
伊賀市と山添村は、ごく一部を除いて、名張川で隔てられている(このごく一部を地図で調べてみて)。名張川は、今では三重県と奈良県の県境となっている。

遠方が、名阪国道に架けられた新五月橋。手前は、現在架け替え工事が進む国道25号線の五月橋。

山添村と伊賀市の間に架かる橋は何本?

その名張川に架かる橋は、名阪国道の新五月橋と国道25号線の五月橋、このふたつの五月橋が知られている。が、実はもうひとつ、伊賀上野と山添を繋ぐ橋がある。

みなさんご存知かもしれませんが、縄文期遺跡のある<カントリーパーク大川>の南の吊り橋です。この吊り橋の名は「大川橋」。

吊り橋「大川橋」は上野から流れる予野川が名張川に合流するところに架かっている。通行に係る重量制限があり、3トンまでの標識がある。
橋の道路幅も狭く、普通車は通れないことはないと思うが、軽自動車なら問題なく通れると思う。

昭和44(1969)年3月に架けられた吊り橋は平成12(2000)年に再塗装されているが、赤錆が浮いているのを目にすると、大丈夫かと疑ってしまう。いくら軽自動車でも、私なら通るのをためらい、渡らないだろう。

私が歩いてちょうど橋を渡り終え、上野側へ入った時後ろから軽トラがやって来て、私を追い越して行った。軽トラの後を追うように歩いて行くと、その車が停まっていて、しばらくするとまた走り出した。見ているとまたしばらく走っては停まるのを繰り返している。
山添村のカントリーパーク大川から上野の方を見ると、自然の山ではない人造の山の上にコンテナのような建物が2~3見えるのを思い出した。
どうも道路の路肩や山側の崖を見ているようで、この先にある産廃施設かゴルフ場の車が道路の点検のため走っているのではないかと思えた。地図で見るとその産廃施設やゴルフ場は名張川のすぐ近くまで迫っていることがわかる。
上野側の道は地図で確認すると予野川沿いに上野の予野地区の集落へと続いている(最下図のグーグルマップ参照)。

赤錆が浮く大川橋



この吊り橋は何のために架けられたのだろうという疑問が湧いてきた。
高い位置で産廃施設とゴルフ場が目の前に迫り、名張川に釣り人の姿も見られない。所有する農地が隣接県にあるため県境を越えるという地域があるというが、この周りには農地も見当たらない。

この吊り橋が出来た昭和44年(1969年)と言えば、この名張川の下流に高山ダムが完成した年である。先日役場でたまたま知り合った村の住人にこの橋のことを訪ねてみると、私の疑問を解く話が聞けた。

高山ダムが完成するとこの辺りはダム湖の一部となり、もともとこの場所にあった橋が沈んでしまうので、この吊り橋「大川橋」が架けられた。そして、元々あった橋は、その住人の父親が山添側で切り出した木材を伊賀市(当時の上野市)へ出荷するために利用していたとのことである。
やはり、橋を通じて県境を跨いだ住民たちの往来があったのである。だからこそ、今の吊り橋に架け替えられたのであることがよく分かった。

室町時代末期の「治田大川地蔵摩崖仏」

今は川でも橋を架ければ渡れるが、大昔はそうはいかなかった。渡し舟で川の流れを計算しての往来だったであろう。そんな形跡ももちろんわからないが、この大川橋の下流側右岸に地蔵摩崖仏が彫られた大きな岩がある。山添側のフォレストパーク大川のキャンプ場からちょうど正面に見える。
川を渡る舟の安全のため彫られたのかもしれない。ここに摩崖仏があるから、この近くに渡し舟があり、街道が通っていたのではないかと推測できる。

冬季は高山ダムの貯水量が増加するので、ここの摩崖仏はさらに見えにくくなる。

肉眼でも大きな岩に刻まれた仏さんがわかるから、相当大きなものであろう。比べるものが近くにないのではっきりとはわからないが、水面に隠れている部分もありそうで、3~4ⅿはあるのではないだろうか。

今日見た時は、その仏さんの足元にあるはずの蓮の花が見えない。多分水面に隠れているのだろう。

「大川橋」で上野側へ渡ってしまうと、その岩は横から見えるが、その摩崖仏の姿を見ることは確かにできない。上野側に摩崖仏が存在しても、上野側から見ることができず、山添側からしか見られない。今でこそ行政区の違いを意識するが、これが彫られた当時はそんな境界線はなかっただろうから、単に渡し舟の安全航行のため、ここに「治田大川地蔵摩崖仏」があるということなのだろう。

生まれ変わる橋

国道25号線が通る五月橋は昭和3年に完成している。昭和40年、名阪国道の新五月橋が開通するまでは、この橋が唯一上野と山添を結ぶ橋であった。
先に触れた第三の橋(大川橋)は昭和44年の開通だから、新五月橋より遅れて架けられている。
今、開通から90年を迎える五月橋の下流側に、来年の開通を目指し新しい橋に架け替える工事が進んでいる。

手前が老朽化した五月橋、奥(名張川の下流)が現在架橋工事中の二代目五月橋

名阪国道を走るのを嫌う人たちは今もこの橋を使っていると聞く。その橋も老朽化により新しい橋が完成したあとは解体撤去される運命のようだ。
今も昔も、名張川に架かる橋がそれぞれの役割をもって、県境を意識せず上野と山添の人々の行き来を見守って来たのである。

国道25号線の現役「五月橋」、名阪国道の「新五月橋」、さらに、昭和44年に架け替えられた吊り橋「大川橋」、これら3本の橋は今もそれぞれ役割分担しながら、上野と山添を行き来する人たちになくてはならない架け橋である。
五月橋については後日詳しく書きたいと思う。

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この記事を書いた人

ウメッシュのアバター ウメッシュ 伊賀の万年青年

見るもの聞くもの何にでも興味を示し、熱しやすく冷めやすく、どこへでも飛んで行く、薄情で風来坊。

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