トラコーマの治療器具「トラホーム器」
An old set of ophthalmological equipment with an original box, for surgery of Trachoma.
The box bears the name, “Trachom quetscher” (in German), and the patent number 7972 (partially in Japanese).
Circa early 1900s
Box 15cm x 5cm, Tool 13.5cm length
Made in Japan, It can be still confirmed that Mr Masatome Asami got the patent in 37th year of Meiji (1902).
Trachoma (in English), Trachom (in German) used be a common disease in many countries which caused blindness for many many people. To remove diseased tissues from patients eyes, surgical treatment was frequently required.
特許出願書の原文に基づき「トラホーム器」と呼びます。
ドイツ語Trachom quetscherと表された医療器具セット。
特許番号7972号。
日本製 1900年代初頭のものと推察。
器具の長さ13.5㎝、箱のサイズ 15x5㎝。
特許庁の記録によると、淺見昌留氏が、明治37年に出願し特許を得ています。
トラコーマ(現在の日本では、trachomaを英語読みしてこのように呼びます)(ドイツ語はtrachom。ドイツ医学が優勢だった当時、トラホームと呼ぶことが多かったのでしょう)は、クラミジア感染によって眼に激しい炎症を起こす疾患で、日本を始め多くの国々において、たくさんの人が失明してしまう重大な疾病でした。
今日、日本では抗生物質で治療すれば完治する疾病であり、ほとんど見ることがありませんが、抗生物質のない当時は、炎症を起こしている眼の病変をこのような器具で摘除する治療法しかありませんでした。トラコーマの予防と治療は、富国強兵を目指す国にとっても重要な課題のひとつでした。
特許7972号の内容
さて、この医療器具のなにが特許なのか、もう少し詳しくみていきましょう。
下に現在特許情報プラットフォームの検索で入手できた特許7972号の明細書(3枚)を提示します。
これによると、従来の器具を用いたトラコーマの治療は、患者さんに強い苦痛を与えてしまうにもかかわらず、病的な組織の摘出はしばしば不完全なものだが、今回出願したこの道具を使えば、患者さんの苦痛はとても少なくて、しかも病的組織の摘出が容易に完全にできると、謳っています。
このような効果は、「実は、魚の「カワハギ」の皮を剥いで消毒して乾燥したものを、鋭利な金具に巻き付けて使用することで可能となる」としています。消毒方法や、「カワハギ」の皮を巻き付ける金具の先端の工夫などを説明しています。
私はこのような器具や「カワハギ」の皮が、本当に淺見氏が主張するような効果をもたらすものか疑問がないわけではありませんが、当時それによって特許が認められたことを、ここに示しておきます。
●余談ですが、正直に申しますと、「組織を剥ぐ道具に、『カワハギ』の剥がした皮を用いる」というのは、まるで言葉遊びのような駄洒落にすぎないのではないかとさえ勘ぐってしまいます。『カワハギ』という名前も、この魚の丈夫な皮が、実は簡単に剥がせるから付けられたというから、皮肉な話です。
当時、トラコーマで苦しんでいた患者さんが、山添村にもいらっしゃったことの証ですし、 初代院長・千太郎が、少しでも患者さんの苦痛を和らげるべく、この器具を求めて使用したのであろうことは間違いないありません。
トラコーマ trachomaの語源や歴史
「表面がざらざらした」という意味を持つラテン語trāchōma, ギリシャ語τράχωμα trākhōma が語源。
トラコーマは、眼球の表面がクラミジアの感染によって、病的な組織に覆われてしまうから、このような病名で呼ばれたのであろう。別名・顆粒眼炎とも呼ばれますが、それは目の表面がざらざらしていることを差しています。
また、別名・エジプト眼炎とも呼ばれるように、中東が起源の疾病です。
十字軍の遠征などでヨーロッパに一気に広がり、その後、大航海時代などを通じて世界中に蔓延したと考えます。
私が物心ついたころ(昭和40年代)、明らかに眼球が炎症を起こして視力が相当低下した高齢者は、ご近所にもいらっしゃった。失明している人もいらっしゃった。彼らが皆トラコーマだったかどうかは定かではありませんが、そういう人が身近にいらっしゃいました。白く濁った眼球が、かすかに記憶の中にあります。
しかし、医学生のころ(昭和50年代)、既にトラコーマは治るものと教わったように記憶しています。
令和の時代、私の身辺は、子供の時よりもっとたくさんの人と接しているし、病気の人とも沢山接しているにもかかわらず、トラコーマで失明した人は一人もいらっしゃいません。
単純に比較することは出来ませんが、抗生物質が発明され広く使われるようになって、そして公衆衛生のレベルが高い我が国においては、駆逐された疾病と言っても過言ではないでしょう。
オールドクリニックに遺されている眼科の医療器具
このトラコーマの手術道具は、明治時代後半に使用されていたと推測されますが、
その他にも、オールドクリニックには、数々の眼科の医療器具が遺されています。
その中には、昭和40年代まで使われていたものもあります。
実際、私自身が父や母から、結膜炎の際に眼を洗ってもらったこともありました。
その時の道具が、今も遺っており、 開院以来80年間、ずっと眼科治療も行われていたことを物語っています。
それらの医療器具も、いずれこのサイトにて徐々に紹介していきたいと思っていますので、お楽しみに。