スベラネーコと私の身辺に巻き起こる珍事
どうやら私は夢想家のようだ。
「滑って転べば猫になるお墓や坂道」&「スベラネーコ」こそ、山添村の大事なキャラクターだと信じて活動している私の身辺に、いろいろと椿事が発生する。
今日は、そんな一面を、スベラネーコ外伝・如若物語として紹介したい。
風の強い夕刻、若い僧侶が我が家にやってきた~~
先日の夕方、冬の風の強い日でした。奈良の東大寺から若いお坊さんが我が家を訪ねて来て、話があるという。招き入れようとすると、「犬を飼っていないか」とお尋ねになり、「いいえ」と答えると、驚くほど軽い身のこなしで台所へ。昨今の不漁のために値上がりしてしぶしぶ買った秋刀魚を焼いていた家内に、妙に馴れ馴れしく話しかけるではないか。
なんだか怪しい坊主だが、無下に帰っていただくわけにもいかず、「御用は何か」と訊くと、キャッと我に返り、「東大寺伽藍脇の二月堂に上がる石段は、実は猫段とも呼ばれている。そこに住む猫達が、自分達を忘れずに細やかながらも『やんばいのぉ山添村』なる得体の知れない観光サイトに『転べば猫になる坂がある』ということを、この私がようやく書いて紹介してくれたおかげで、どれほど喜んでいるかを伝えてくれ」と言われてやってきたというのが実情のようだ。
猫たちに遣わされた若坊主というのも、腑に落ちないのであるが、彼の話を聞いてみると、どうやらあの猫坂(猫段)辺りには、今も化け猫やら幽霊猫らがたくさんいて、その中の猫の棟梁がこの僧侶を遣わせたようだった。
それはどうやら、妖怪たちが跋扈した室町時代のことだったようだ・・・
「いえいえ、私は山添村の村興しに猫坂をと思い立っただけである、そのうえ、勝手に‟スベラネーコ“などと称するキャラクターまで使って、受験生相手のグッズまで作ってしまった」と、動機が不純な輩だと答えると、この若坊主は、「たとえそうだとしても良いではないか、昨日などは遂に、東大寺まで来たにも関わらず、大仏さんには目もくれず、伊賀の里から猫坂だけを目当てに忍者と思しき人までが観光に来るようになった」、「これも全て、やんばいのぉ山添村サイトとスベラネーコのおかげ」だと、ますます私を持ち上げるのだった。
そんな会話も途切れてしまっても、この若い僧侶がなかなか帰ろうとしないから、これは仕方ないと断念して、夕食を差し出したところ、ヨダレが口角から垂れそうに見えたかと思った時すでに、私たちの大事な秋刀魚は立派な骨格標本に変わっていた。
夜も更けて帰り支度を始めたこの僧に、「もしや貴殿はもしや?前世は?」と訊ねると、少し寂しそうなお顔をなさり、「その昔、、、」どうやらその昔というのは、我々が【室町時代】と呼んでいる妖怪達が跋扈していた頃を指すようだったが、東大寺の重源様のお堂に上がる坂道でふざけたあげくの果てに、滑って転んだグウタラ僧侶であったというではないか。
遂にこの言い伝えの核心に迫るかもしれないと色めきだった私は、僧侶の名を尋ねた。「名前があったのはあれこれ五百年も昔のこと、今ではお互いにゃにゃと呼び合うだけだ」と、とうとう若坊主は自分が猫であることを吐露したのであった。
「最近の秋刀魚は、不漁のせいか、値上がりしたので、なかなか手が出なくなった。アルバイトしないと美味しい秋刀魚にありつけない。21世紀には家庭教師を雇って受験勉強している学生がいるというではないか? 小生なら、古典や漢文なら、まかせてくれ!」と、ぼやきとも約束ともつかぬことを言いながら、彼は帰って行った。
その若々しい軽い足取りを見送った私は、彼を『如若(ニョニャク)』と名付けて、書けるはずもない受験生の神様物語の主人公に据えることにした。
この続きがいつ始まるとも分からぬ『如若物語』の始まりである。