葛尾 ~ 葛が密生していた丘陵地 ~
「葛尾」と書いて「くずお」と読みます。
山添村の南東部の名張川と笠間川の合流地点にあり、名張市の「伊賀葛尾」と隣接します。
山添村の集落境界の特徴の一つである、三重県名張市領が約1kmにわたり不自然に細長く入り込んできている境の集落です。(「山添村神社巡り③ 勝原 八柱神社」にて説明)
集落は、南西部の山麓に点在し、林業や養鶏業が盛んです。


集落の西側には、馬尻山がそびえ、昔はこの山を越えて、春日や菅生に出る峰道(むねみち)が通じていました。
地域では、土器や土錘などが出土し、縄文遺跡としても有力視されています。
「東大寺文書」によると、中世に笠間川添いの板蝿ノ杣(いたばえのそま)から搬出された木材を笠間川に流し、名張川合流地点の葛尾浜(くずおはま)で筏を組み、名張川を流筏(りゅうばつ)して、京都府の木津で陸揚げして、奈良の社寺建設に供したと言われています。(「山添村神社巡り⑪ 毛原 八阪神社」にて説明)
この集落は、古くは「くすお」と書かれていたこともあるそうですが、字のごとく、葛の密生した所、丘陵地を意味する地名と言われています。


この橋の下が、笠間川と名張川の合流地点。


集落の高台にある、観音寺は、鎫海院(ばんかいいん)と称し、名僧鎫海上人の開基です。本尊は、白衣観世音菩薩(びゃくえかんぜおんぼさつ)で、十一面観音は、藤原中期のものとされ、県の文化財に指定されています。また、お寺に伝わる、大般若写経600巻は、鎌倉時代のものとされ、村の文化財に指定されています。このように、この地域は、古くから開け、繁栄していたことがうかがわれます。江戸期は旗本赤井氏領だったそうです。
また、このお寺の鎫海和尚は、川添いの災難を救うため、示寂(しじゃく)された(=亡くなられた)と伝えられています。
葛尾浜近くには、「下台山」(岩屋集落)というところに瓦を焼いた「葛尾浜窯跡」があり、当時大伽藍であった毛原寺の建立と深い関係があるとも言われています。
神明神社 ~ 社の祭神に近く参進(神殿まで歩くこと)ありがたく ~



森の中の巨木の杉、檜に囲まれた神社です。
集落の大小にかかわらず、生活の中に切っても切れない、結びつきの強い、産土(うぶすな)の神(社)といわれています。
祭りで出される、鯖寿司は有名です。
祭神は、天照皇太神です。

*この内容は、山添村史などを参考に作成しました。
さて、次回は、「~巡り巡る農村の社~ 山添村神社巡り㉖ 春日 春日神社」を紹介します。
