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『やんばいのぉ』とは、山添弁で『いい天気だね』という意味です。
『やんばいのぉ山添村』は、関西弁では『ええ天気やなぁ山添村』になります!

~巡り巡る農村の社~ 山添村神社巡り⑳ 中之庄 八幡神社~

2020 6/09
~巡り巡る農村の社~ 山添村神社巡り⑳ 中之庄 八幡神社~
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県道80号線(名張・奈良線)沿い、集荷場の前にある道標
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中之庄 ~ 波多野地域の真ん中にある中央荘園があったところ ~

「中之庄」と書いて「なかのしょう」と読みます(地元では「なかんしょう」と発音していることもあります)。南は三重県領に接する馬尻山から、北は名張川に至る細長い地形で、下山、峰山を背負う、南が高く北が低い南高北低の斜面に集落が点在しています。

中之庄は、字の如く、波多野地域の中央部という意味があり、また、庄の付くことから古くから開けた地域で中央荘園の意味がある地名とも考えられ、奈良県下の他の地域でも出てくる中村、中垣内、中などの地名と同類のものと考えられるそうです。

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中之庄の道は、とくに、神社へ向かう里道は、とても狭い。
軽トラや軽自動車以外では、厳しいでしょう。

中之庄は馬尻山に広い共有林があります。伝説によると、この馬尻山が伊賀と大和の土地所有権争いになって紛糾した時、中之庄に角兵衛という人が参謀格として紛争の解決にあたっていました。この争議に大金が必要になった時、集落にあった善福院(ぜんぷくいん)の僧侶が箕三杯(みさんぱい)の黄金を投げ出して、角兵衛と共に急を救ったと伝えられています。この偉業を末永く伝えるため、角兵衛の墓の上に松を植え「角兵衛松」と呼んでいましたが、落雷により枯死してしまいましたが、善福院の僧侶の碑は今も大寺跡に残っているそうです。

中之庄には、的場、城南、馬場の地名があり、このことから居城があったことも推察されます。その他に、数多くの五輪塔などの石塔や女性が月待ちして集う子安地蔵(こやすじぞう)が残っており、五輪塔は村の文化財に指定されています。
神社の境内に蓮華廃寺(れんげはいじ)跡、善福廃寺(ぜんぷくはいじ)跡、黄金塚(こがねづか)があります。これらの寺院は、信長の伊賀攻めの際の兵火にあって灰化となったそうです。
また、通称古屋敷にある黄金塚には昔から「元旦の朝、金のニワトリが鳴く。この声を聞いたものは長者になる。」との伝説が残されているそうです。

江戸時代は、旗本奥田氏領で、「元禄郷帳」には「中ノ庄村之枝郷広代村」と記載されています。大字の「八幡宮採次第帳」には、宝永年間(1704~1711)に集落の戸数が40戸とありますが、50年後の宝暦には、18戸に激減している記録があることから、この文禄年間に、十数戸が、広代村に分村したのではと伝えられています。(広代は、前回、山添神社巡り⑲で説明済)

戸数も僅かな集落ですが、緬羊の導入や乳牛による酪農組合、防火用水池などもいち早く導入するなど先進的な取り組みでも知られています。

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八幡神社 ~ 神鈴・拍手神域深くこもりて ~

・古くは神明神社でしたが、中古、京都の石清水八幡宮から八幡さまを勧請したものと伝えられています。

・巨木に囲まれた神社で、神鈴・拍手の神域が深くこもります。

・近くに庚申講の陰と陽を記した石造もあります。

・祭神:応神天皇

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中之庄

*この内容は、山添村史などを参考に作成しました。

さて、次回は、「~巡り巡る農村の社~ 山添村神社巡り㉑ 吉田 岩尾神社」を紹介します。

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