

広代 ~ 高台地の広い田のあるところ ~

この向こうに、広い棚田が広がる。
「広代」と書いて「ひろだい」と読みます。三重県領に接する馬尻山を水源とした、北に流れる広代川に沿って広大な水田が広がっており、集落は北側の丘陵斜面にあります。
広代には、「広曽」「広畑」「大広」などの小字があり、広は平地、代は田(大和高田市の西代の代(田)と同じ)を表し、古文書には、「広田井」と呼ばれ、高台地の「広い田のあるところ」や「ひらたい田のあるところ」と言った地形を表したものだと言われています。
中世から耕地や住民移住の開拓が行われていたと言われ、江戸時代は、奥田氏領で、文禄年間に隣接する中之庄(次回、山添神社巡り⑳で説明)から分村したと伝承されています。また山地は、「テンショ」と呼ばれ、中世の城塁跡が残っています。



寺院は、かつて、観楽寺(かんやくじ)、明王院(みょうおういん)、広徳寺(こうとくじ)の3寺がありましたたが、今は広徳寺のみで、本尊は阿弥陀如来です。観音堂で祀られる十一面観音は、平安後期の作で、秘仏で霊験あらたかといわれ、村の文化財となっています。
広代の「牛の宮」地区は、同族集団の集落で、奈良街道(県道奈良名張線)に面し、かつては神波多神社(天王)参りの旅人の店屋として繁栄し、現在も牛の宮商店街を形成しています。
菅原神社 ~ しっかり励みます 拝礼 ~




・境内の石灯籠(建武5年=1338年)は村指定文化財です。
・学問の神である菅原道真公が祭神であり、しっかり拝礼して学問に励む誓いをする参拝者が多いです。
・祭神:菅原道真公


*この内容は、山添村史などを参考に作成しました。
さて、次回は、「~巡り巡る農村の社~ 山添村神社巡り⑳ 中之庄 八幡神社」を紹介します。