MENU
やまぞえ絆リレー2020
ブログカテゴリー
プロフィール背景画像
やんばいのぉ山添村の画像
やんばいのぉ山添村
ええ天気やなぁ山添村
『やんばいのぉ』とは、山添弁で『いい天気だね』という意味です。
『やんばいのぉ山添村』は、関西弁では『ええ天気やなぁ山添村』になります!
『やまぞえ絆リレー2020』2021年5月9日に延期となりました。

~巡り巡る農村の社~ 山添村神社巡り⑮ 上津(西波多) 春日神社~

あわせて読みたい
~巡り巡る農村の社~ 山添村神社巡り⑭ 菅生 十二社神社~
~巡り巡る農村の社~ 山添村神社巡り⑭ 菅生 十二社神社~https://yamazoe-love.com/yamazoe-visiting-the-shrine-13-oonishi/神社の向かい、集荷場近くに立つ「ここは菅生」の立て看板菅生 ~ 菅(すげ)が自生する土地 ~...
上津地区の公民館前に立つ道標
目次

上津(西波多) ~ 河内川(こうちかわ)の上流にあった集落 ~

「上津」と書いて「かみづ」と読みます。
この大字は、山添村の北部で、北は山を隔てて奈良市月ヶ瀬に接し、東西に奈良街道(県道奈良名張線)が走り、南北に流れる遅瀬(祓戸(はらいど)または河内(こうち)とも呼ばれていた)川沿いに集落が広がり、南の集落の上流には、上津ダムがあります。集落の中央の祓戸(はらいど)橋付近では、奈良街道と遅瀬西波多線が交差しています。

上津は明治8年に大字下津と合併して、西波多と呼ばれるようになりました。
西波多は、東にある波多地域(⑬大字大西にて記載)の西にある地域として、西波多と呼ばれるようになりました。また、上津はこの地域を流れる遅瀬川沿いに集落があったことから、古くは、「かうふち」と呼ばれ、江戸初期には「上ツ河内(かみつこうち)」と呼ばれていました。川沿いの上の方にあったことから、上津と呼ばれるようになったと考えられます。

上津ダム

この地は、古くから上野と奈良や笠置街道の接合地点として集荷、荷送りのための宿屋や商店(酒屋、油屋、呉服屋、茶商)が並び活況にあふれていたそうです。今でも、山添児童館があり、放課後など、子供たちで賑わっています。
地域では水田や畑の他、製茶や養蚕などの着実な農業経営が行われ、組合を作り共同作業場(精米、製粉、製縄など)も古くから盛んだったと言われており、この活動は、昭和35年頃、内閣総理大臣賞や記録映画にもなったそうです。

また、春日の春日神社や中峯山の上波多神社(後に説明)にお参りする時に、祓戸川、祓戸橋は、禊払い(みそぎはらい)の場所としてこの清流で禊したものだと伝えられています。更に、鎌倉時代や室町時代の五輪塔が残っている他、地域の田の中と言わず宅地内と言わず、大きな花崗岩のあるところの一部に仏像(花田の摩崖仏、上出の摩崖仏など)が刻まれているそうです。

祓戸橋 、その向こうに春日神社の杜が見えます。

春日神社 ~ 祓戸橋をわたってすがすがしく拝礼 ~

神社の横を流れる清流(祓戸川)には祓戸の神が祭られています。

ここは波多地域の春日の春日神社(後に説明)や中峯山の天王さん(神波多神社)(後に説明)にお参りする時に、祓戸川、祓戸橋は、禊払い(みそぎはらい)の場所としてこの清流で禊したものだと伝えられており、祓戸橋をわたってすがすがしく拝礼して参拝したそうです。

祭神:天児屋根命

上津

*この内容は、山添村史などを参考に作成しました。
さて、次回は、「~巡り巡る農村の社~ 山添村神社巡り⑯ 下津 吉備津神社」を紹介します。

この記事が気に入ったら
いいねしてね!

この記事を書いた人

こせがれのアバター こせがれ 兼業農家のご主人

山添生まれ、山添育ち。農村の暮らしを通して、食や農、自然や地形、歴史や文化、スポーツや子育て、健康や長寿‥などなど、様々なことに関心が芽生えて来た、小せがれです。
「足元より、少し前を向いて歩きたい♪ どうせ一度の人生だから」をモットーに実践しているつもりです。
これからもよろしくお願いしますm(._.)m

目次
閉じる