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やまぞえ絆リレー2020
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やんばいのぉ山添村
ええ天気やなぁ山添村
『やんばいのぉ』とは、山添弁で『いい天気だね』という意味です。
『やんばいのぉ山添村』は、関西弁では『ええ天気やなぁ山添村』になります!
『やまぞえ絆リレー2020』2021年5月9日に延期となりました。

~巡り巡る農村の社~ 山添村神社巡り⑬ 大西 八王子神社、稲荷神社~

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後方は、山添村役場
目次

大西 ~ 重要な地域の西端にある地域 ~

「大西」と書いて「おおにし」と読みます。
この大字は、山添村の中心部で、名阪国道の山添ICと県道奈良名張線が交差し、山添村役場がある交通、行政の中心地です。

大西のハタ口という地域からは、4000~7000年前と言われる石器(サヌカイト破片)が出土し、石器時代の非常に古い時代からこの地に人がいたことが推察されます。この遺跡は、後に述べる、中峯山の大川遺跡と同年代のものだそうです。

稲荷川(右は、稲荷神社・後述)
平坦な大西の稲田
遠方は、城山(文中参照)を背にした給食センター(左)と山辺高等学校山添分校(右)

集落の中央部を、稲荷川が流れ、その流域の周辺が比較的平地であることからも、古くから集落が発達し、文化が形作られていたことが推察されます。また、興福寺の寺院の生活、身辺のことを記した「多門院日記」からも、鎌倉から南北朝、室町、戦国時代にはすでに、政治・文化の中心地として栄えてきたであろうことが推しはかられます。

更に、後に述べる、「神波多神社」や「春日神社」の世話役である「肝入」も勤めていたそうで、地域の中心的な役割を果たしていたと想像することができます。

大字の南東には茶臼山(城山)があり、近隣で波多地域の中心であったとされる大字春日の山城にもつながっています。
徳川時代、慶長年間、奥田三河守忠高は御陣屋をこの地に置き、領地を支配し幕末に至るまで継続したと言われています。
そして、江戸時代後期(1845年頃)に代官として赴任した奥田家の家臣川上氏のご氏族の堀井氏は、後に「ガリ版器具」(印刷技術)の大発明をされます。川上家と堀井家が山添村大西の地に関係があったことは、大西の共同墓地に顕彰石碑として残っています。この内容は、別途「山添村ガリ版物語 ガリ版のふるさとの“ふるさと”」プログにて詳細に説明されていますので、そちらをご覧ください。

大西の共同墓地に建てられた堀井家と川上家の由来を記した石碑(昭和3年建立)

さて、大西の大字が含まれる波多野地域については、この波多という言葉は、ハ(葉)タ(田)の意味と言われ、水田(佃)に対する言葉として、畑地の意味が込められていると言われています。波多は、陸田又は白田の2文字を当て、白田を合わせて「畠」、また、焼いた火の田を合わせて「畑」の言葉が生まれたとも言われ、古くから謂れのある地名、地域と考えられます。また、大は重要な場所を表します。
大西という地名については、大きい西の村という説や、波多という重要な地域の西端にある場所という意味で、大西と呼ばれるようになったのではないかとも言われています。

先に述べたように、集落の中央部を流れる稲荷川の周囲を中心に農地が開け、交通の要衝で農作物の輸送も便利であったので農業が盛んでした。
また、この地域に医療施設(野村医院)があり、近隣地域の多くの人々が診察や往診でお世話になり、現在も野村医院は地域の方々の日常の健康長寿の大切な医院として存続しています。明治30年代に建てられた当時の医院の建物も残っており、平成30年11月に「登録有形文化財」に登録されました。

その他に、交通の要衝の地の利を生かして、村役場、JA、山添中学校、山辺高等学校山添分校、山添消防署、給食センター、駐在所、飲食店、雑貨屋、直売所、ガソリンスタンド、理髪店など多様な施設があり、村の中心的な機能を果たしています。

八王子神社 ~ お灯明火袋が珍しい ~

地域の高台にあり、狛犬はなく、簡易な社と朱色が映える鳥居が眩しいです。
お灯明用の灯篭が目立ちます。

祭神は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命
祭典は「座下り帳」に記載された各戸主の年齢順により2人あて、当屋(大当屋と相当屋)として奉仕します。

八王子神社

稲荷神社 ~ 檜、杉の巨木に囲まれたお稲荷さん ~

慶長12年(1607)高野山、高室院第30代住職、長秀師により創祀しされました。高室院住職に大字大西出身の長任師と呼ばれる方がおられたことから、創祀にご縁があったと考えられます。
檜、杉の巨木に囲まれたお稲荷さんで、狐様が2体おられます。

当初は、大字大西と菅生の共同神社でしたが、大西の単独神社になりました(次のブログが、菅生の予定です)。

祭神は、一言稲荷 (高室院に祭祀されている神と考えられます)
祭典は、戸毎に廻り、芋串のキョウを例祭当日にふるまいます。芋串は、三個の里芋が串差しにしてあり、それにクルミ(青大豆をにて臼でひき潰したもの)を塗り付けたもので、珍しいです。

作成中の芋串(串に刺した里芋にクルミを塗り付けているところ)

*この内容は、山添村史などを参考に作成しました。
さて、次回は、「~巡り巡る農村の社~ 山添村神社巡り⑭ 菅生 十二神社」を紹介します。

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この記事を書いた人

こせがれのアバター こせがれ 兼業農家のご主人

山添生まれ、山添育ち。農村の暮らしを通して、食や農、自然や地形、歴史や文化、スポーツや子育て、健康や長寿‥などなど、様々なことに関心が芽生えて来た、小せがれです。
「足元より、少し前を向いて歩きたい♪ どうせ一度の人生だから」をモットーに実践しているつもりです。
これからもよろしくお願いしますm(._.)m

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