MENU
やまぞえ絆リレー2020
ブログカテゴリー
プロフィール背景画像
やんばいのぉ山添村の画像
やんばいのぉ山添村
ええ天気やなぁ山添村
『やんばいのぉ』とは、山添弁で『いい天気だね』という意味です。
『やんばいのぉ山添村』は、関西弁では『ええ天気やなぁ山添村』になります!
『やまぞえ絆リレー2020』2021年5月9日に延期となりました。

~巡り巡る農村の社~ 山添村神社巡り⑪ 毛原 八阪神社~

あわせて読みたい
~巡り巡る農村の社~ 山添村神社巡り⑩ 大塩 八柱神社~
~巡り巡る農村の社~ 山添村神社巡り⑩ 大塩 八柱神社~https://yamazoe-love.com/yamazoe-visiting-the-shrine-09-doumae/大塩 ~ 塩瀬地蔵にまつわる地名と黒い石が織りなす自然な風景 ~「大塩」と書いて「おおしお」と...
目次

毛原 ~ 木材豊富な板蠅ノ杣地「焼原杣」 ~

「毛原」と書いて「けはら」と読みます。
この大字は、山添村南東部に位置し、南は宇陀市室生、東は三重県名張市と接しています。

宇陀市笠間から流れる笠間川の両岸は山地で、左岸は約200mの毛原断層崖が壁をつくりそのふもとの標高250m付近に集落が広がっています。右岸は青葉山地(茶臼山:標高535m)があり名張市に続きます。
毛原断層崖下には、七ノ谷、堂ヶ谷、水の奥等と呼ばれる泉があり、断層線の特色を表しています。

毛原の集落と、笠間川を挟んで向こうに広がる豊かな田園。
毛原廃寺
毛原廃寺の礎石の一部

この地域は、笠間川、名張川、木津川を経由して奈良につながることから、東大寺荘園の板蠅ノ杣地(いたばえのそまち)に属し、木材を供給する重要な場所の1つでした。それを物語ることとして、東大寺が杣方支配のために設けた役所とも解されている史跡「毛原廃寺」跡の礎石(国の重要文化財)があります。

康保3年(966年)4月2日付け「伊賀国夏見郷刀祢等解(とねちげ)案」に「板蠅杣」や「焼原杣」という言葉が使われており、青葉山の茶臼山周辺を焼原杣と呼んでいたそうですので、この「焼原杣」を「やけはらそま」と読めば、今の地名の毛原のいわれではないかと考えられています。中世の戦国記には、「気原」とも呼ばれ、気原長門が毛原城を築き遺構も残っています。

また、万葉集に収められている歌の「山辺の 御井を見がてり 神風の 伊勢の処女ども 相見つるかも」の「御井」がこの地の井戸との伝承も残っています。

長久寺

地域にある豊原山長久寺(ほうげんざんちょうきゅうじ)の中興の祖と仰がれる智龍上人(ちりゅうじょうにん)は霊場「大師山」を創設し、今では、「八十八カ所石仏めぐり」として名所になっています。

笠間川沿いには、相当広い面積の水田があり、山添村の中でも気候が温暖であったため、稲と麦(裸麦、小麦、ビール麦)などの2毛作が行われ、傾斜地ではダリアなどの花卉栽培や養蚕、豊富な森林を利用した製炭の他、地域で採取される花崗岩を活かして、石材業なども始められたそうです。

八阪神社 ~ 八阪の木立深く 神鈴神域にこもりて ~

「社伝記」によると、当神社は「社号 八阪神社ニ牛頭天王ト称ス」となっており、祭神は素戔嗚命です。
神社の周りの木々も大きく深く、神鈴も神域にこもるがごとくです。

・祭神は建速須佐男命、牛頭天王(ごずてんのう)

毛原

*この内容は、山添村史などを参考に作成しました。

さて、次回は、「~巡り巡る農村の社~ 山添村神社巡り⑫ 岩屋 八柱神社」を紹介します。

この記事が気に入ったら
いいねしてね!

この記事を書いた人

こせがれのアバター こせがれ 兼業農家のご主人

山添生まれ、山添育ち。農村の暮らしを通して、食や農、自然や地形、歴史や文化、スポーツや子育て、健康や長寿‥などなど、様々なことに関心が芽生えて来た、小せがれです。
「足元より、少し前を向いて歩きたい♪ どうせ一度の人生だから」をモットーに実践しているつもりです。
これからもよろしくお願いしますm(._.)m

目次
閉じる