
堂前 ~ 寺院の所在にちなんだ地名、お堂の前 ~
「堂前」と書いて「どうまえ」と読みます。
この大字は、山添村中央部にある神野山の東山腹の大字箕輪の南部に位置し、北、西、南の三方を箕輪に囲まれています。自然環境も人文現象も箕輪と類似しており、古い時代に箕輪より分離したのではないかとも言われています。大字の形は、1辺約400~500mの不等辺四角形で、面積は、僅か18ha余りしかありません。

神野山信仰から、寺院の所在にちなんで「お堂の前」=「堂前」となったのではないかと言われています。この大字(集落)周辺では、向山にあったとされる「イマクボウ」、近隣の箕輪に残る「ウシガクボ」、「ジョロンボ」、「ボウサンヅカ」など坊に連なる小字名が多いことがそのように推測される理由の一つです。
貞和3年(1347年)2月日付「興福寺段銭段米帳」には「堂前荘」と記載があり、南北朝期からある荘園名で、当時は南朝方の勢力下にあったと言われています。
中世には、堂前兵衛が集落の中央に孤立する城山(堂前城)を築いていたと言われ、「慶長郷帳」には「重前村」とあります。江戸時代を通じて旗本庄田氏領でした。
昭和35年には、集落内に農事託児所(後の西豊保育園)が開かれました。
南斜面に散在する集落の他は、川岸に水田、傾斜地に畑(茶園など)と土地のほとんどが農地に利用され、山林はごく僅かに残るのみで、昔は藁屋根葺き職人が多かったそうです。


三柱神社 ~ 二社合祀されて荘厳な神域 ~ *箕輪と同じ内容です *
明治42年4月に伏拝の八幡神社、箕輪の春日神社、堂前の今宮神社を合祀して、三柱神社とされましたが、昭和24年に伏拝がふたたび八幡神社として遷座されました。そのため、2社の合祀された荘厳な神域となっています。
・祭神は、天児屋根命、今宮神品陀別命


*この内容は、山添村史などを参考に作成しました。
さて、次回は、「~巡り巡る農村の社~ 山添村神社巡り⑩ 大塩 八柱神社」を紹介します。