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やんばいのぉ山添村
ええ天気やなぁ山添村
『やんばいのぉ』とは、山添弁で『いい天気だね』という意味です。
『やんばいのぉ山添村』は、関西弁では『ええ天気やなぁ山添村』になります!
『やまぞえ絆リレー2020』2021年5月9日に延期となりました。

~巡り巡る農村の社~ 山添村神社巡り⑧ 箕輪 三柱神社~

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箕輪 ~ 箕の輪のように包む地形 ~

「箕輪」と書いて「みのわ」と読みます。
この大字は、山添村中央部にある神野山の東山腹の400m前後のやや高原状の地域に集落があります。

1m幅の里道や軒先で近隣の大字(集落)と接するなど、大字境は集落の人ですら判りにくいところがあります。
隣接する大字堂前(堂前集落)を「箕(米などの穀物の脱穀の際に殻や塵を取り除くために作られた平坦なバスケット形状の選別用の農作業で使う手作業農具)の輪」のように包んでいる形となっていることから、この地名になったとも言われています。

箕(Wikipediaから写真は引用)
箕輪地区の地図(Google Mapより引用)

明治6年4月8日、箕輪地域に「元楽寺堂宇」を仮校舎として、学校が設立されましたが、これが近隣地域では始めで、学校と名がつくところは、箕輪と春日のみで教育の中心であったと言われています。明治6年7月に「種徳館」と命名されましたが、明治9年5月には地名を冠して、「箕輪小学校」と改名されました (平成14年に閉校した西豊小学校の前身) 。

中世のころは興福寺領で箕輪荘と呼ばれ、元徳2年(1330年)2月6日付け「修南院隆遍譲状」には「箕輪郷」、貞和3年(1347年)2月日付「興福寺段銭段米帳」には「箕輪庄」と記載があります。
中世、箕輪宗慶・同源左衛門が、集落の東北に塁を構築し、堀跡があり、「慶長郷帳」には「箕野輪村」とあります。江戸期には、幕府領から伊勢津藩領となり、伊賀から畑郷の村々を通って奈良に向かう交通の要衝でした。

かつて、旅芸人や行商人を泊める木貸宿、農鍛冶を主とする鉄工業、製瓦業もあったそうですが、現在はすべて転職されているそうです。
神野山腹には土手の高い棚田の他に、かつて養蚕の桑畑やさつま芋畑経て、パイロット事業の新しい造成地も含めて、茶園が広がっています。

三柱神社 ~ 二社合祀されて荘厳な神域 ~  *堂前と同じ内容です

明治42年4月に伏拝の八幡神社、箕輪の春日神社、堂前の今宮神社を合祀して、三柱神社とされましたが、昭和24年に伏拝がふたたび八幡神社として遷座されました。そのため、2社の合祀された荘厳な神域となっています。

・祭神は、天児屋根命、今宮神品陀別命

箕輪

*この内容は、山添村史などを参考に作成しました。

さて、次回は、「~巡り巡る農村の社~ 山添村神社巡り⑨ 堂前 三柱神社」を紹介します。

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この記事を書いた人

こせがれのアバター こせがれ 兼業農家のご主人

山添生まれ、山添育ち。農村の暮らしを通して、食や農、自然や地形、歴史や文化、スポーツや子育て、健康や長寿‥などなど、様々なことに関心が芽生えて来た、小せがれです。
「足元より、少し前を向いて歩きたい♪ どうせ一度の人生だから」をモットーに実践しているつもりです。
これからもよろしくお願いしますm(._.)m

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