

助命 ~ 助ける命と書く山のふもとの難読地名 ~
「助命」と書いて「ぜみょう」「ぜんみょう」「ぜんみょ」と読み、難読地名にも登録されています。
この大字は、山添村中央部にある神野山のふもと南東部に位置し、山麓斜面に集落や茶園、川沿いに水田があります。
中世に畑郷中峯山村善明院(ぜんみょういん)領であったことから現在の地名になってと言われますが、他の説として、神野山信仰からきているとも言われています。「助命=命を助ける」と書くことから、神野山のふもとで、山の信仰をしたことと何か関係があるのかもしれません。

元徳2年(1330年)2月6日付け「修南院隆遍譲状」には「助命郷」、貞和3年(1347年)2月日付「興福寺段銭段米帳」には「助命荘」と、鎌倉期からある地名です。至徳4年(1387年)の「長川流鏑馬日記」によれば春日若宮祭に流鏑馬頭役を謹使する願主人の一員で「国中廻文次第」にも所見する国民、助命氏の本拠地(助命城)があったそうです。
また、戦後には神野山麓に産業道路が建設され、周辺に広大な茶園が造成されました。

八王子神社 ~ 往来の人々も立ちどまり 拝礼 ~
長い階段の上にあり、往来の人々も立ち止まり拝礼されます。
祭神は、神産日神、高御産日神、玉積産日神、生産日神、足産日神、大宮売神、御食津神、事代主神が祀られています。
もとは、八柱神社と称していたそうです。


*この内容は、山添村史などを参考に作成しました。
さて、次回は、「~巡り巡る農村の社~ 山添村神社巡り⑦ 伏拝 八幡神社」を紹介します。