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『やんばいのぉ』とは、山添弁で『いい天気だね』という意味です。
『やんばいのぉ山添村』は、関西弁では『ええ天気やなぁ山添村』になります!

~巡り巡る農村の社~ 山添村神社巡り⑤ 切幡 神明神社~

2020 3/12
~巡り巡る農村の社~ 山添村神社巡り⑤ 切幡 神明神社~
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切幡 ~ 開墾地の意味がある切山 ~

「切幡」と書いて「きりはた」と読みます。
この大字は、山添村の南南西に位置し、標高450~600mの比較的なだらかな山地や丘陵の起伏からなる集落です。西は奈良市都祁、南は宇陀市室生に接しています。古文書などからは、開墾地の意味のある「切山」などとも読め、現在の地名になったとも言われています。

奈良時代には興福寺切幡(切山)庄で、中世鎌倉期には、中切畠(なかきりはた)と呼ばれていました。貞和3年(1347年)の興福寺造営段米井田数帳(春日神社文章)にも、「切幡荘は大乗院門跡寄所」「切幡庄2丁9反大 反米8斗9升 号宮方進納」と記載があるそうです。

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“こうや豆腐”で一世を風靡した切幡

土地が高所であるため冬季の寒冷地気候を利用して、明治から昭和30年頃まで、西隣の「小倉凍豆腐製造組合」の1中心地として栄えていました。水力により石臼を回して豆をつぶし凍豆腐を製造する工場(「こうや小屋」と呼ばれていた。)が、川沿いに20余か所もあったそうです。この凍豆腐は、天保年間(1830~1844年)に西隣の奈良市小倉の杉本武助という人が高野山で製造法を習得して、郷土に伝えたと言われ、「小倉山凍豆腐」の名で周辺の山間の特産品になりました。大正・昭和時代には、小倉~田原~奈良京終を結ぶ索道が架設され、凍豆腐黄金時代の輸送手段として貢献したそうです。

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神明神社 ~ 神々(こうごう)しい神域 ~

朝夕の参拝が多く、年ごとに神々(こうごう)しい神域です。
下出にあった八柱神社は、明治42年に現神社に統合、合祀されました。
祭神は、大日女貴命。

境内社は、春日神社、天児屋根命、八幡神社、品陀別命(応神天皇)、厳島神社 市杵島姫命も祀られています。
鳥居には、銘板がありません。

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*この内容は、山添村史などを参考に作成しました。
さて、次回は、「~巡り巡る農村の社~ 山添村神社巡り⑥ 助命 八王子神社」を紹介します。

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