

三ヶ谷 ~ 三つの谷あいの地 ~
「三ヶ谷」と書いて「みかだに」と読みます。
この大字は、山添村のほぼ中央部に位置し、標高350~500mの小丘陵からなる集落です。青木川と丸田(マッタ)川、蛸地(タコチ)川の小支流によって三つの谷あいの地形になっており、この地形から三ケ谷と呼ばれるようになったと言われています。
「大和国山辺郡三ヶ谷七郷由来記勝原ノ記」によれば、三ヶ谷郷の祖地は勝原であると記されています。
中世期は興福寺の荘園で、中世鎌倉期には、三加谷郷、三刀谷、三箇谷などと呼ばれていました。
地侍三谷氏の本拠地で「かき上げ城」はその居城跡と言われています。三谷氏は、大乗院門跡防人の国民で、命によりしばしば奈良にのぼり兵士役を勤めていたと言われています。

三ヶ谷は、豊原地域の行政の中心地で、明治22年から昭和30年まで豊原村役場があり、山添村になった後も、保育園、小学校(現在は統合のため豊原公民館)、中学校(現在は統合のため無し)、派出所、郵便局、農協(現在は統合のため無し)などがありました。
大正末から農事実行組合を結成し、水田や茶畑の他に、ダリヤ球根やポット苗などの花卉園芸が盛んです。
また、地域には、前記の花卉園芸業の他に、かつては豆腐屋や雑貨屋、服屋、旅館など多様な職種が集まりにぎわっていました。

八柱神社 ~ 立派な鳥居をくぐり拝殿へ ~
鳥居から拝殿までの参道が長いです。
祭神は、神産日神、高御産日神、玉積産日神、生産日神、足産日神、大宮売神、御食津神、事代主神。
秋の例祭には座祭の儀が執行されます。
また、神社の社叢(しゃそう)は、山添村指定天然記念物になっています。

*この内容は、山添村史などを参考に作成しました。
さて、次回は、「~巡り巡る農村の社~ 山添村神社巡り⑤ 切幡 神明神社」を紹介します。
